(『天然生活』2022年1月号掲載)
「禅的ライフスタイル」とは
「禅」とは、坐禅の修行をベースにした仏教の教えです。僧侶の吉村昇洋さんによれば「禅の世界では、掃除、料理、食事、入浴など、生活のすべてにおいて修行を実践している」そうで、私たちの日常にも、禅の知恵を取り入れられるのだといいます。
たとえば、玄関で靴を脱いだらいったん座ってきちんとそろえる。食事の際には口にふくんだ料理をゆっくりとかみしめる。
そんなふうに目の前の出来事に意識を向け、ていねいな行動をしつづけていると、おのずと心が整い、平穏に生きられるようになる......というのが、禅的ライフスタイルです。
「ともすれば、私たちは常に考え事をしながら生活しています。先のことを考えて不安になっていたり、過ぎたことにくよくよしていたりするわけですが、それらのとらわれは、自分の頭がつくり出しているイメージにすぎません」
過去に起きた出来事だったとしても、価値観や固定観念という自分のフィルターを通して考えるうちに、妄想が肥大していくもの。そんな苦しさに巻き込まれないよう、いま、この瞬間の現実に意識を向けるのが禅のあり方です。
「思考よりも行動を重んじ、ありのままを受け止めながら感じることによって、自己との向き合い方も変わっていきます」
「いま、ここ」に意識を向ける
家事をしながら、頭の中でほかのことを考えていたりしませんか?
いま、この瞬間、目の前の出来事に意識を向ければ、思考に惑わされずすっきりした気持ちで毎日を過ごせるようになり、物事を手早く終わらせることにもつながります。家事だけでなく、日常の行動すべてにおいて、心の置き場所を「いま」にする練習をしていきましょう。
坐禅といえば「無」にならなければいけないイメージがあるかもしれませんが、そうではなく、浮かんだ思いをただ受け止めます。たとえば、片づけに向き合いながら嫌な感情を思い出したとしても、自分の心をそのまま受け止め、「嫌だと感じているんだなあ」と眺められればOK。
禅においては自分の価値観でジャッジしないのが大切です。
とりあえず手を動かせば、面倒くささから解放される
やるべきことがあるのに、「面倒くさい」と思ってしまうことも、自分が頭の中でつくり出している考えです。そのまま思考にとらわれていてもやる気が出ることはないと、吉村さんはいいます。
「大本山永平寺での修行中は、毎日3時半に起きたあと坐禅をします。毎日しんどい気持ちになるのですが、坐禅堂に入ればそのしんどさは忘れてしまうんです。何かをするとき面倒くさいと思うのは、やる前だけのこと。やり始めてしまえば、そのぐずぐずした状態からいち早く抜け出せます」
できない、やらなきゃ、などと考えるよりも、行動が先。物事が片づけば心もすっきりし、また次の行動にも移れるという好循環につながります。
「いま、この瞬間に意識を向けて、ていねいに行動をする。そのうちに、自分のありようが変わっていくのを感じてみてください」
掃除は体を使うと、“きれい”の感覚がわかる
「大きな寺を何人もの修行僧で掃除するとき、一番手早く、すみずみまできれいにする方法が、体を使ったぞうきんがけでした。ぞうきんは手にフィットさせて使うものだから、手を動かしてふくことできれいになっていく感覚がダイレクトに得られるうえに、目線も低くなるから細かいほこりを見落とさずにすむのです。体を使うことで、掃除に意識を向けやすくもなります。もちろん、ぞうきんが使えない人はモップでもいいと思いますが、自分の身体に合った道具を使うほど、きれいの感覚が得られることでしょう」
体を使っていると、疲れて楽なほうへ逃げたくなっている自分にも気がつくのだと、吉村さんは言葉を続けます。
「自己の弱さに気づき、それでは意味がないとしっかり掃除に打ち込むことで、達成感や、きれいになる喜びを感じられるのです」
食べ物を口に入れるたびに箸を置くと、味わい方が変わる
禅において、食まわりの行動は、坐禅や掃除と並ぶ基本の修行です。料理、食事、後片づけまでの一連の流れにさまざまな型が決められています。日常生活に多くを取り入れるのは難しいですが、「食べ物を口に入れたらいったん箸を置く」のは、ぜひとも実践したい作法のひとつ。
「その都度手を止めることで、かむほうへ意識が向き、食べ物の味がとてもよくわかるのです。これを実践した方は、よくかむようになった、満腹感が得られやすくなったといいます。もともと精進料理の味つけは素材を生かすために薄味なのですが、この食べ方をしていると、ひと口ごとにかみしめますから、薄味でもよくなったり、素材のおいしさが感じられたり、味わい方も変わってきます。食べる行為にしっかり向き合うと、大切な命をいただいている実感がもてるでしょう」
掃除は時間を区切ると、毎日続けられる
物事に取りかかるときは、考えるよりまず行動が大事だと前述しました。その行動を促すために、とくに掃除などのハードルの高い家事は「毎日10分」と時間を区切ると、取り組みやすくなります。
禅寺では、作務の時間を太鼓の音で知り、大体一時間程度、毎日掃除をしますが、家庭では10分間のタイマーをセットすることで、「音が鳴るまでは集中」と、区切りの合図に。
「10分間だと思えば、重い腰も上げやすくなりますし、忙しい毎日でもそのぐらいの時間なら掃除に意識を向けられます。ポイントは、タイマーが鳴ったら掃除が終わっていなくても、きっぱり切り上げること。これは私のもうひとつの専門である心理学の『遮断化』の理論なのですが、やる気のあるうちに中断すると、もう少しやりたい気持ちが残り、つぎの日に続けやすくなるのです」
<監修/吉村昇洋 取材・文/石川理恵 イラスト/紙野夏紀>
吉村昇洋(よしむら・しょうよう)
曹洞宗八屋山普門寺副住職であり、公認心理師、臨床心理士として精神科病院に勤務。『心とくらしが整う禅の教え』(オレンジページ)ほか著書多数。
※記事中の情報は『天然生活』本誌掲載時のものです