(『天然生活』2023年2月号掲載)
与えられた環境をふくらまし、いまを楽しむ
東京の青山から吉祥寺へ。パリのアパルトマンのようなかわいらしい店「ランジュパース」が、引越しをしたのは、店主が70歳を過ぎたころでした。営むのは“オリーブさん”こと田中靖子さん。フランスなどヨーロッパで見つけてきた古い器や布、上質でシンプルなファッションアイテムを古いマンションの一室で販売しています。
「前のお店があったマンションの建て替えがきっかけで、移転を決めました」。青山に店舗があったときは、自宅は別。オンオフの境界線がはっきりし、自宅で庭仕事ができるところも気に入っていました。ですが、店と住まいをひとつに束ねることを決意。
「パートナーに病気が見つかったんです。お店と家を行ったり来たりしながらケアをするのも大変だし、年齢的なこともあってね」
そうと決まったら、田中さんは至極前向き、身軽。家具や道具、洋服など持ち物をさっぱりと処分し、来たる暮らしサイズに合わせて手放していきました。
「あまり物に執着しないのね。『欲しい』といわれたら、割とさっとあげちゃうし。そのものが輝ける場所にもらわれていったらうれしいの。古いものをたくさん持っていますけど、それも大きな時間の流れのなかで、一時的に預かっているという感覚なの」
吉祥寺のマンションは年下の友人が見つけ、いろいろと交渉してくれた場所。困ったことがあると、いつもだれかが助け、支えてくれる人生だったと振り返ります。
「『こんな暮らしがしたい』と理想を描くことはなくて、そのとき与えられた環境で、そこでの生活を精一杯ふくらまし、実らせていきたい。だから、たとえ暮らしが小さくなっても、小さい場所なりの心地よさを見つけられるし、楽しむことが先決と思います」
そうして始まった職住一体生活。仕事と暮らしがひと続きの日々は、身軽さもありつつ、気持ちや空気の切り替えに多少難儀することも。けれど、「これがいまのベスト」と受け入れ前向きに楽しんでいます。自分の家であり、店であり。暮らしながら営むスタイルは、唯一無二。お客さんは、田中さんのサロンに招かれるような感覚です。
棚やテーブルに並ぶ物たちは、商品ですが、暮らしに彩りを与えてくれる品でもあって……。個人で持つ以上の物に囲まれて暮らしていますが、たくさんの物とうまくつきあう工夫をしているといいます。
「とにかく使うこと。物はただ置いてあるだけだと死蔵します。飾っておくだけではなく、時には手に取って、活用する。つくった人は、必ず使われることを想定しているはずだから、使ってあげないと、失礼だと思うの」
いまの暮らしの原点は、パリの屋根裏部屋での生活
暮らしが半分サイズになるときに思い出したのは、30代でのパリ生活。離婚してひとりになり、フランス料理の仕事に就いた後、縁に導かれ本場・パリへと向かいました。
住処は、古いアパルトマンの7階にある屋根裏部屋。エレベーターもなく、キッチンは申し訳程度の大きさ。おのずと持ち物は最小限になり、小さな暮らしに対する工夫と知恵が磨かれました。
「パリの人の多くは、コンパクトな暮らしをしています。リサイクルポストが街の至るところにあって、物の循環のシステムがしっかりしている。ひとつの物を大切に長く使うし、多様に使うこともお上手ですね」
人生は旅のようなもの、という田中さんにとって、70代のいまの暮らしもまだ旅の途中。もう一度パリに住みたい、仲のよい友人たちと田舎で共同生活をしたいと、あれこれ夢想しています。だから「そのとき」がいつ来てもいいように、心も生活も身軽に。
「さあ出発というときには、自分の持ち物を皆さんに『お持ちください』と託し、旅に出るように、家を変えられたらいいですね」
<撮影/近藤沙菜 取材・文/鈴木麻子>
田中靖子(たなか・やすこ)
ヨーロッパで買い付けたアンティークのリネンや食器、小物類のほか、衣類などを東京・吉祥寺で販売。※来店の際は、事前予約を。インスタグラム@langepasse1986
※記事中の情報は『天然生活』本誌掲載時のものです