子どもに言っている唯一のこと
いわゆる終活の類いはしていないとお話ししました。
年賀状じまいも、今のところは考えていません。毎年大変だと思いつつも、久々にご挨拶をいただくのも格別に嬉しいし、百歳を超える大先輩が今も変わらずに送ってくださることも、励みになって続けています。
自分がいなくなったあとは「こうしてほしい」という強い希望もないので、子どもには「銀行の暗証番号だけは伝えておかないと」と、そのぐらい。いつまでできるかはわかりませんが、仲間と協力しながらでも、ひとり暮らしを続けるつもりでいます。
そんなわたしが、唯一、娘と息子に伝えたことがあります。
高齢になると、いつその身にどんなことが起こるかわかりません。とくにひとりで暮らしていると、家での異変に周囲の誰かが気づく機会も、圧倒的に少なくなる。そのときに、「自分たちがひとりにさせておいたからだ」とは絶対に思わないでね、と。
母も八十歳ぐらいのときに、わたしに同じことを言いました。もしも、わたしがひとりで家にいるときに最期を迎えたとしても、わたしをひとりにさせておいたせいだと子どもが思う必要は、絶対にない。
「この先わたしがボケたりして、おかしなことを言い出すことがあるかもしれないし、まったく別のことを話しだすかもしれないけれど、今話していることがわたしの本心だから」とも加えて、わたしも、母と同じように子どもたちに伝えました。
充実していた、夫との最期の二年間
夫は退職して二年後の、六十二歳で他界しましたから、はたから見れば若くして亡くなったことになります。けれど、彼は自分の人生を謳歌して逝ったと、わたしも家族も心からそう思っています。
晩年の二年間は、期せずして二人で日本全国を飛び回る旅行三昧の日々でした。
「友の会」関連で道内各所へ向かう必要があるときは、必ず夫が車で送ってくれました。わたしの仕事中、彼は現地の市場で買い物を楽しんだり、道の駅のスタンプラリーに興じていたり。
真冬しか開催していないペンギンの行進を見に、旭山動物園へ行ったこともありました。
京都では能を楽しんだり、淡路島でおいしい玉ねぎを食べたり、神戸では牛肉をいただいたり。日光では猿軍団のショーも楽しみました。亡くなる二か月前には、東北の五大祭りにも。
一週間前には、わたしがかねてより敬愛している作家で精神科医のなだいなださんが苫小牧に来てくださることになり、夫は初めて先生にご挨拶ができ、二日間一緒に過ごしました。
亡くなる前日は、大好きなゴルフに行っていました(どうもゴルフはしていなかったようですが)。
残される家族というのは、どうしたって悲しいのです。今までいたひとがいなくなることは、この上なく悲しく、寂しいこと。でも、「不在」という事実以上の辛い思いを、残された家族にさせたくない。
きっとそれは、誰しもが希望することではないでしょうか。大事な家族を苦しませたくない、辛い思いをさせたくない。それだけが、わたしの亡きあとに望む、唯一の願いです。
本記事は『さあ、なに食べよう? 70代の台所』(扶桑社)からの抜粋です
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人生の新しいステージで、前を向くためのヒント集
53歳で夫が急逝、子どもが独立してひとり暮らしになった料理家の足立洋子さん。喪失と向き合いながら、寂しさを癒やし、ふたたび前を向けるようになった50代。料理のスーパー主婦として出演した『あさイチ』(NHK)で大ブレイク、活躍の場が一気に広がった60代。そして72歳の今、気力ががくんと衰える「70代の壁」に直面。自分の気持ちを引き上げるのは自分しかいない! と奮起する足立さんの日々の食事や家事には、ごきげんをつくり出すヒントが満載です。料理をするのがおっくうな日も手軽に作れる簡単レシピや、日常の中に新たな楽しみを見つける心がまえ、家族や周囲の人との付き合い方……等身大の魅力にあふれたライフスタイルを一冊に。
〈撮影/山田耕司(扶桑社)文/遊馬里江〉
足立洋子(あだち・ひろこ)
料理家。1951年生まれ、北海道函館出身。自由学園最高学部卒業。雑誌『婦人之友』の読者が集う、「全国友の会」で、料理講師を四十年以上務め、2011年にはNHKの情報番組『あさイチ』で料理のスーパー主婦として出演。自身がモットーとしている“かんたんおいしい”料理を多数紹介し、大好評を博す。以降、講習会のみならず、書籍や雑誌、テレビやWebなどのさまざまな媒体で、料理が苦手な人の食卓を助ける手軽でおいしい料理を伝え続けている。
インスタグラム:@hirokoa1208