• 結婚や出産など、人生の大きな節目とともに、さまざまな変化を遂げてきた仕事の在り方。いまも自分のペースで働くアイパワーフォレスト社長の五十嵐乃里枝さんに話を聞きました。
    (『天然生活』2023年3月号掲載)

    人から求められることに、こたえる仕事をしていく

    五十嵐乃里枝さんは、生まれ育った福島県会津地方で林業を営む会社の社長を務めています。

    曰く、「自分から選んだというよりは人から誘われたり頼まれたりしたことを仕事にしてきたように思います。その都度、真剣に考えていたはずですが、職歴を並べてみると、行き当たりばったりに見えますね」

    若いころは洋楽が好きで海外への興味が強く、山に囲まれたこの土地から出たかったそう。

    高校時代はアメリカに留学、卒業後は東京の国際色豊かな大学で過ごしました。就職したものの人生の目標が定まらず、大学時代の恩師を頼ってインドに渡ります。

    画像: 事務所で作業する五十嵐乃里枝さん。積まれている薪は、販売用からはじかれた自家用。「杉が多いかな。ぱっと燃える薪です」

    事務所で作業する五十嵐乃里枝さん。積まれている薪は、販売用からはじかれた自家用。「杉が多いかな。ぱっと燃える薪です」

    「外に出てわかったことは、国や文化、母国語に関係なく、通じ合える人とは通じ合えるということ。一方で言葉が通じても、隣人や職場、地元の人たちとすごくわかりあえるかというと、違うわけです。他国で暮らさずとも、異文化を経験していると気づきました」

    帰国後は地元に戻り、中学校の産休補助講師の誘いを受けます。しかし任期が終わるころ、大学時代にボランティアをしていた財団から声がかかり、再び東京へ。

    上京後も中学校講師時代に参加していたシュタイナー教育の勉強会のため頻繁に帰郷するうちに、地元の男性と結婚することになりました。

    「夫には高校1年生の娘と中学2年生の息子がいたので、父親が大反対。町じゅうの噂になって、あのときは大変でした。いまはほんとによかったと思ってますけど、地元に戻ってからの暮らしは、それまで経験した何よりも異文化でしたね。町の会議に参加すると、個人の意見はいえない雰囲気があったり最初はなじめませんでした」

    海外からきた大学教授とその家族をサポートする翻訳通訳員を経て、94年に出産。その後は週に3日、公民館で講座をコーディネートする社会教育指導員に。

    「97年にふたりめを出産し、同世代のお母さんたちのなかに他の地域から嫁いできた人たちがいて、近所に知り合いもいないし、行くところもないと聞き、子育てサークルをつくりました。留学当初、仲間に入れず疎外感を覚えたことがあって、彼女たちに同じ思いをしてほしくなかったんです」

    議員、保育所所長、林業とやってきてわかった仕事観

    子育てサークルをつくり行政と関わるうち、保育所にも変化を望むようになりました。そのことを夫に話すと、「町議会議員に立候補してみたら?」と。

    2期8年を務め、やれたこともやれなかったこともあったと振り返ります。

    「成果としては、東北一円の浄化槽の汚泥処理場誘致を環境問題として近隣の議員と協力して止めたことです。心残りなのは会津西部地域から産婦人科がなくなったこと。署名を集めるなどして県にも要望したのですが、少子化にはかないませんでした」

    議員7年目に東日本大震災が発生。会津地方は大きな被害はありませんでしたが、福島で生きる自分に何ができるだろうと考えた末、3期目は立候補せず原子力に依存しないエネルギーのあり方に取り組むことにしました。

    議員じゃないほうが町を越えての活動がしやすかったんです。当時はエネルギーについて何も知らなかったので、勉強会やシンポジウムなどを行いました」

    「会津自然エネルギー機構」の代表を引き継ぎ、地元会津の森林を活用する方法について模索。同じころ、嘱託で町立の保育所所長に就任しました。

    画像: 毎年5月から11月の月1回、希望者に木こりの技術を伝える「山の学校」を開催。「木の切り方や、チェーンソーの研ぎ方など、さまざまなコツを教えています」

    毎年5月から11月の月1回、希望者に木こりの技術を伝える「山の学校」を開催。「木の切り方や、チェーンソーの研ぎ方など、さまざまなコツを教えています」

    「週3日でしたし、議員時代、保育所改革がしたかったのに、至らなかった後悔もありました。隣町の保育所と交流する機会をつくったり、保育所の様子を伝えるお便りを町に配布するようにしたり。保護者と協力しながら、いまに続く活動を始めることができました」

    画像: 自然林にある30mほどのトチノキを伐採する五十嵐さんの夫。高いところに登って切るのは、特殊な技術

    自然林にある30mほどのトチノキを伐採する五十嵐さんの夫。高いところに登って切るのは、特殊な技術

    一定の役割を果たし、請われて現職へ。特殊伐採を行う小さな林業会社の社長になって4年目です。

    画像: 伐採した会津の杉を活用するために木製サッシを生産。国産の建材に注目が集まっていることや断熱効果が高いことでも高評価。「ヴィーガンレストランなどから問い合わせが増えています」

    伐採した会津の杉を活用するために木製サッシを生産。国産の建材に注目が集まっていることや断熱効果が高いことでも高評価。「ヴィーガンレストランなどから問い合わせが増えています」

    「林業は漆器などの伝統産業にも関わっています。物をつくる仕事は軽んじられている気がしますが、なくしてはいけないし、若い人たちに林業の大切さを知ってもらう活動も行っています。いろいろしてきましたけれど、そのときどきで必要とされていることをするのが、私の仕事なんだと思います」


    <写真提供/五十嵐乃里枝さん 取材・文/長谷川未緒>

    五十嵐乃里枝(いがらし・のりえ)
    1962年福島県生まれ。国際基督教大学卒業後、国際交流事業等に関わる。結婚を機に故郷に戻り、会津大学で翻訳通訳員として勤務。出産後は社会教育指導員、町議会議員、町立保育所所長などの職に就く。現在は、アイパワーフォレスト株式会社代表取締役社長。林業の仕事を若い世代に広める活動を行っている。

    ※記事中の情報は『天然生活』本誌掲載時のものです



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