• 昭和9年創業の和洋菓子店「キクノヤ」。和菓子職人の“2代目小林恒一さん、洋菓子職人の“3代目”真治さん。そして孫の知史(ちふみ)さんが“4代目”として、新たな視点で店を継承する挑戦に取り組んでいます。デザイナーから菓子職人への道を進むことを決意した知史さんと、それを見守る祖父と父。受け継ぐ想いと、家族の絆を紹介します。
    (『天然生活』2021年4月号掲載)

    “キクノヤの味”や“思い”。受け継がれたものを守りつつ、前へ

    ※ 記事中の情報は『天然生活』本誌掲載時のものです

    三重県鈴鹿市の小さなお菓子屋「キクノヤ」。小さなこの町の界隈では、甘いものを食べたくなったら、駅から海へ少し歩いて、和洋菓子のキクノヤさんへ向かうのです。

    店には、和菓子職人の2代目・恒一さんと洋菓子職人の3代目・真治さんが手がける和洋菓子が並ます。

    デザイナーとして働いていた知史さんは、生家であるお店の再生のために、デザインの力で店をサポートしようと決意しますが、その過程で“和菓子職人”として、「80歳を超えた祖父の味を受け継ぎたい」と強く感じるようになります。

    * * *

    ▼前回のお話はこちら

    画像: 「今日は、新築をするお宅がお祝いにおはぎを配りたいとのことで、たくさんの注文をいただいて大忙しです」と知史さん。恒一さんは朝からこしあんとつぶあん2種類のあんこを炊き、10時にはすっかり準備万端

    「今日は、新築をするお宅がお祝いにおはぎを配りたいとのことで、たくさんの注文をいただいて大忙しです」と知史さん。恒一さんは朝からこしあんとつぶあん2種類のあんこを炊き、10時にはすっかり準備万端

    「このままでは、祖父の味が消えてしまう」と考えた4代目の知史さんは、和菓子の工房に入ることを決心します。祖父と父の姿を見て育っているだけに、菓子職人の世界が厳しいことは百も承知。

    「20代半ばでこの道に入るのは、遅すぎると重々わかっていました。もちろん、まずは製菓の学校に通うことも考えました。基礎を外でしっかり習ってから、祖父の下に戻ってキクノヤの味を受け継げばいい、と。けれど……語弊があるかもしれませんが、私の希望は和菓子職人になることではなく、あくまで“キクノヤの味”や“思い”をつなげること。

    画像: 作業は、向かい合ってすることが多いそう。「祖父の動きを見ながら、私も同じように。まず目でしっかり見て、コツを聞きながら手を動かしていきます」

    作業は、向かい合ってすることが多いそう。「祖父の動きを見ながら、私も同じように。まず目でしっかり見て、コツを聞きながら手を動かしていきます」

    だから、祖父が元気なうちに、技術だけでなく、和菓子への向き合い方や、店の歴史を体感することを優先したいと思いました。

    それは、この店の味を残すことになると同時に、私のもうひとつのサポートの方法である、ブランディングやそのアウトプットのためにも欠かすことのできない体験だと考えたからです」

    画像: 保育園の文集に書いた知史さんの夢。園児たちはみんなキクノヤのケーキが好きで、ほかの子どもたちまで「キクノヤさん」と書いているのも微笑ましい

    保育園の文集に書いた知史さんの夢。園児たちはみんなキクノヤのケーキが好きで、ほかの子どもたちまで「キクノヤさん」と書いているのも微笑ましい

    画像: 戦後間もなくのころから使われているという道具類。どれも恒一さんの手の延長のように扱われ、長く使われたことですり減ってしまっているものもある

    戦後間もなくのころから使われているという道具類。どれも恒一さんの手の延長のように扱われ、長く使われたことですり減ってしまっているものもある

    画像: 古い秤(はかり)はいまも現役。「祖父は和菓子の材料を、グラム単位でなく昔の“匁もんめ”で主に記憶しています。これは、匁でも量れるので私たちには便利なんです」

    古い秤(はかり)はいまも現役。「祖父は和菓子の材料を、グラム単位でなく昔の“匁もんめ”で主に記憶しています。これは、匁でも量れるので私たちには便利なんです」

    画像: 「祖父はレシピを文字では残していないので、口伝えで教えてもらいながら細かくメモをとっています」。デザイナーらしく、文字に加えイラストも多用

    「祖父はレシピを文字では残していないので、口伝えで教えてもらいながら細かくメモをとっています」。デザイナーらしく、文字に加えイラストも多用

    “キクノヤのお菓子”その歴史をつなげていく

    いまでこそ目を細めて知史さんの上達を喜ぶ2代目ですが、知史さんがデザインによるサポートだけでなく、和菓子工房に入ると決めたときには「帰ってこなくてもいい」と伝えたそうです。

    画像: 和菓子工房の作業台の下から出てきた、初代が残した古いレシピ。どのページも几帳面な文字で書き込まれ、途中で改良したのか赤字が入っている個所も散見する。当時のキクノヤのお菓子づくりを伝える貴重な資料

    和菓子工房の作業台の下から出てきた、初代が残した古いレシピ。どのページも几帳面な文字で書き込まれ、途中で改良したのか赤字が入っている個所も散見する。当時のキクノヤのお菓子づくりを伝える貴重な資料

    和菓子、そして洋菓子をつくりつづけてきた者として、それは生半可な気持ちでは成し遂げられないと知っているから。何より、一度は家業を離れた孫娘に、要らぬ苦労をかけたくなかったから。

    そして3代目は「娘が本腰を入れて和菓子に向き合えるか」を見守りつつ、新しいギフト商品の開発に力を注ぎ、彼女が提案する全国のマルシェなどへの出店や通販の好評ぶりに、新たな手応えを感じ始めています。

    画像: 新しい名物として、知史さんがパッケージをデザインし、父・真治さんに製造を依頼した、香るベイクドケーキ「フレイヴァ」。通信販売にも対応

    新しい名物として、知史さんがパッケージをデザインし、父・真治さんに製造を依頼した、香るベイクドケーキ「フレイヴァ」。通信販売にも対応

    「アドバイスをしてくれるのが娘じゃなかったら『キクノヤのことをわかってもいないくせに何をいうんだ』と、聞く耳をもたなかったかもしれない」と笑いながら。

    4代目の知史さんがキクノヤに戻って2年。継承すべきものの大きさは想像以上で、責任の重さにあらためて気を引き締める日々です。

    画像: 初代のレシピノートを見ながら。「こんなのを残していたんだね」と懐かしい表情を浮かべる恒一さん。「いくつか復活させたら面白いかも」と知史さん

    初代のレシピノートを見ながら。「こんなのを残していたんだね」と懐かしい表情を浮かべる恒一さん。「いくつか復活させたら面白いかも」と知史さん

    画像: 初代と若き2代目が店を切り盛りしていたころは、お祝いのお菓子といえば当然和菓子。当時使っていたおめでたい文字の型紙が多数残っていた

    初代と若き2代目が店を切り盛りしていたころは、お祝いのお菓子といえば当然和菓子。当時使っていたおめでたい文字の型紙が多数残っていた

    画像: 以前は予約制で請け負っていたマーブルサンドだが、「日常のおやつとしても食べたい」という声にこたえ、店頭販売も。現在は洋菓子を担当する3代目が製造

    以前は予約制で請け負っていたマーブルサンドだが、「日常のおやつとしても食べたい」という声にこたえ、店頭販売も。現在は洋菓子を担当する3代目が製造

    画像: この町では仏事や、仏さまにお供えするお菓子として親しまれている丸いカステラ。2代目が考案したココアを混ぜ込んだ「マーブルサンド」が人気。

    この町では仏事や、仏さまにお供えするお菓子として親しまれている丸いカステラ。2代目が考案したココアを混ぜ込んだ「マーブルサンド」が人気。

    和菓子の世界から、一度は洋菓子へと軽やかな転身を見せた2代目、父の後を追い、洋菓子を真摯に極めつづける3代目。さて、4代目となる知史さんは、どのようなかたちでキクノヤの姿を、未来につなげていくのでしょうか。

    画像: 祖父・恒一さんと祖母・ひで子さんと。「はじめは心配したけれど、キクノヤを継承してくれることはとてもうれしい」と笑顔で

    祖父・恒一さんと祖母・ひで子さんと。「はじめは心配したけれど、キクノヤを継承してくれることはとてもうれしい」と笑顔で



    画像: 和洋菓子キクノヤ 三重県鈴鹿市若松北1-37-10 https://kikunoya1934.jp/

    和洋菓子キクノヤ
    三重県鈴鹿市若松北1-37-10
    https://kikunoya1934.jp/

    <撮影/村林千賀子 取材・文/福山雅美>

    ※記事中の情報は『天然生活』本誌掲載時のものです



    This article is a sponsored article by
    ''.