(『天然生活』2024年5月号掲載)
次の世代に引き継げるものを使う。母から学んだ大切なこと
野の花を摘んで飾る、自分が畑で育てた野菜で料理をする、天然酵母のパンを焼くー。消費文化が中心の1980年代から、自然に寄り添う暮らしの豊かさを提案していた挿花家の二部治身(はるみ)さん。
娘の二部桜子さんによれば、治身さんが花の仕事で活躍を始めたのは、子育てが一段落した40代のことだそうです。当時中学生だった桜子さんは、「母がいつもしているわが家の普通の生活を、大人たちが面白がっているのが不思議でした」といいます。
「母から直接、暮らしの何かを教わった記憶はないんです。ただ、食卓にのぼるのは虫食いの野菜ばかりで、パンは素朴な手づくりという、ふだんの食事のなかでおのずと味覚は育てられたかもしれません。
休みの日に遊びに行くのが遊園地じゃなくて里山のピクニックだったのは、すごく楽しかった思い出です。森や池の風景が神秘的でした」
両親のすすめもあって、高校卒業後は、ニューヨークの大学でアートを学んだ桜子さん。マンハッタンのアパレル会社でバイヤーの仕事に就きました。日本に帰国してからもファッション業界一本でしたが、いまから6年ほど前、料理を仕事にしたくなり、食の世界へ転身を図りました。
「40代も半ばでしたが、母の姿を見ていたから、新しいことを始めるのは何歳でも遅くない、と思うことができたんです。母は花も料理もどこかでトレーニングを受けたわけではなく、すべて自己流でした。そして、私が料理を仕事にしたいと考え始めたときに、アメリカを旅するなかで出会った料理人たちが、日本の食材を新しくとらえているのを見て、『自由でいいんだ、やってみよう』と思えたんです。
そう決めた2カ月後には、ケータリングや料理教室をするための物件を見つけていました。タイミングに乗っかるというか、思い立ったらすぐに行動に移すのは、母譲りかもしれません」
何かを教わったというより、母の暮らしから受け取った
桜子さんが育ったのは、東京・八王子の郊外。建築家の父が建てた庭のある家で、父、母、弟との家族4人の時間を過ごしました。一昨年に父が他界し、実家は手放すことに。現在、治身さんは桜子さん家族と一緒に暮らしています。
育った家と別れるなんて、さぞかしさびしいことかと思いきや、「いえいえ、やりきりましたから!」と、桜子さんは晴れ晴れとした表情。家を売る前に、大勢の方を招いて譲渡会を開いたそうです。
「母と父が集めた骨董品、民芸品、家具、アジアの雑貨まで、膨大なコレクションを何回かに分けて、次に使ってくださる方に手渡していきました。とてもたくさんの人が来てくださったんですよ。それが終わったいま、私もこれから新しく何かを買うときには、次の世代に引き継げるものだけにしたいと思うようになりました」
桜子さんのキッチンでも、実家から譲り受けた器やお盆や水屋箪笥が日々活躍しているほか、ガラスのじょうごをランプシェードにリメイクしたり、古い板をキッチンカウンターにしたり。傷んでいたYチェアも手を加え、味のある佇まいに生き返らせました。
治身さんが暮らしを通して与えてくれた経験や価値観が、桜子さんのなかでしっかりと実を結んでいます。
家族の思い出

治身さんは桜が大好きで、実家の庭には10種類もの桜が。学生時代から娘が生まれたら「桜子」と名づけると決めていたとか。
〈撮影/山田耕司 取材・文/石川理恵〉
二部桜子(にべ・さくらこ)
ニューヨークの大学でアートを学んだ後、アパレル会社に就職。10年間のニューヨーク生活を終えて帰国後はバイヤー職に。2017年、「SHUNNO KITCHEN」を立ち上げて料理家に。展示会やイベントなどのケータリングを手掛けるほか、EC通販や料理教室などを通じてサステナブルな食を届けている。
インスタグラム:@shunnokitchen
※ 記事中の情報は『天然生活』本誌掲載時のものです