• 岩手県岩泉町の自然の色彩を毛に染め丹念に紡ぐ活動を続けて38年。量産できない、唯一無二の毛糸づくりです。今回は、スピンクラフト岩泉の代表・工藤厚子さんに、長年にわたる毛糸づくりの歩みと草木染めの魅力について伺いました。
    (『天然生活』2023年7月号掲載)

    毛糸とともに歩んだ、スピンクラフト岩泉の38年

    ※記事中の情報は『天然生活』本誌掲載時のものです

    羊毛からすぅーと糸になってつながっていく不思議さ。その様子に心奪われ、時間がたつのも忘れてしまいそうです。淡いオレンジ色の毛を紡ぐのは工藤厚子さん

    画像: 「糸を紡ぐとき、雑念が入るとよくないですね。偉そうですけど染色するときも、すべてがそうです。難しく考えず、手仕事に失敗はないんです」

    「糸を紡ぐとき、雑念が入るとよくないですね。偉そうですけど染色するときも、すべてがそうです。難しく考えず、手仕事に失敗はないんです」

    38年前、草木で染めた手紡ぎの毛糸をつくろうと『スピンクラフト岩泉』を仲間と立ち上げ、活動を続けてきました。当初からのメンバーは年を経るごとに少なくなり、現在は工藤さんを含め4人に。

    「親子以上です。ほんとに、何から何まで知り尽くした知り合い」

    取材に訪れた日は、久しぶりに工藤さん方の工房にみんなが集まり、作業に勤しんでいました。

    岩手県岩泉町袰綿(ほろわた)の小さな集落、ここで糸紡ぎが始まったのは日中戦争が始まった1930年代後半のころ。

    画像: 岩泉町は岩手中部から東部に位置。北上山地が大きく横たわり各地で水がわき、水に恵まれた土地。集落は河川沿いに点在する

    岩泉町は岩手中部から東部に位置。北上山地が大きく横たわり各地で水がわき、水に恵まれた土地。集落は河川沿いに点在する

    この地域にあった尋常高等小学校の校長先生が「これからは自給自足をしなくては」と高等科(いまの中学)の生徒2人に横浜まで羊を迎えに行きなさいと指示します。

    画像: 汽車が駅で止まると羊を外に連れ出し草を食べさせた。校長先生が亡くなられ、遺族から当時の写真を工藤さんは譲り受けた

    汽車が駅で止まると羊を外に連れ出し草を食べさせた。校長先生が亡くなられ、遺族から当時の写真を工藤さんは譲り受けた

    「貨車に羊を乗せてください」と書いた駅長さん宛ての手紙を持たせ、生徒に羊と一緒の貨車で1週間ほどかけて羊を連れ帰らせたのです。男子には羊の飼育、女子には羊の毛の加工法を学校で教え、羊を増やし、昭和30年代には羊のいない家はなかったと。

    その経緯を工藤さんが知ったのは嫁いできてから。

    つくり酒屋だった嫁入り先にも1頭の羊がいました。春先に毛を刈って糸を紡ぎ、家族のセーターや靴下を編む。

    「当時のお母さんたちは、これでどんなに幸せだと思ったかしらと。子どもに既製品を着せたくても高嶺の花でしたから」

    しかし、昭和40年ごろから文化や生活のスタイルはだんだんと変化し、既製品が出回ると毛糸を紡ぐ家は減り、消費社会へと突き進んでいきます。

    スピンクラフト岩泉
    代表・工藤厚子

    住所:岩手県下閉伊郡岩泉町袰綿字本町40
    電話:0194-25-4006



    <写真/落合由利子 構成・文/水野恵美子>

    ※記事中の情報は『天然生活』本誌掲載時のものです



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