• 14年前の大震災、原発事故を経て生まれた福祉事業所。仕事づくりを模索しつづけるなかで見いだされたものとは。「交流サロンしんせい」から始まった活動は、やがて山奥の作業所へと広がり、非常食「山のにんじんカレー」が生まれます。震災の体験と、支援ではなく“仕事”をつくるという発想が結びついた、福祉の新しいかたちです。
    (『天然生活』2024年6月号掲載)

    福祉サービスを知らない障がい者の存在

    2011年の震災発災当時、福祉の仕事を休職中だった富永さん。原発事故による強制避難など、地元福島の人々が置かれた過酷な状況を目のあたりにし、同年5月、内陸の郡山市を拠点に支援を行っていた「JDF被災地障がい者支援センターふくしま」(以下「JDFふくしま」)の活動にボランティアとして参加。

    避難区域の福祉事業所と、その利用者の現状調査などに尽力し始めます。

    同年8月には、多くの強制避難者を受け入れてきた郡山市内の全避難所が閉鎖。仮設住宅への入居が進むなか懸念されたのは、障がいのある避難者の孤立だったそう。

    「福祉サービス自体を知らない障がい者の方もいた」との言葉が意味するところを測りかねていた取材陣に、富永さんが穏やかな口調で説いてくれたのは、いまなお偏見の残るこの社会で、障がい者の暮らしが多くの人の視界からこぼれ落ちてきたという事実でした。

    「障がいがあることを周囲に明かせないまま暮らしている方は、いまも少なくないんです。当時、保健師の方が福祉サービスにつなげようとしても、自分は障がい者じゃない、と頑なに認めない方もいました。閉鎖的な地縁血縁に支えられてきた方が、避難所を出てそれを失ったら、どう生きていけばよいかわからなくなってしまう

    この事態に直面した「JDFふくしま」が、同年10月、富永さんを中心として郡山市内に開いたのが、障がいのある人々、困難な事情を抱える人々が集う「交流サロンしんせい」でした。

    生活環境のリセットによって引きこもり状態になることを防ぎ、公的な支援につなげることを目的としたこのサロンは、ともに被災者である参加者同士のおしゃべりや、ヨガ、映画館通いなどの活動を通じ、和やかな場づくりに一定の成果を上げたといいます。

    その一方、回を重ねるうちに足の遠のくメンバーも増えていったそう。

    「話を聞いてみると、『おしゃべりに疲れてしまった』と。私たちスタッフも、毎回毎回がお楽しみ会ではつらいよね、と理解できたんです。皆さん、障がいがあっても、元の暮らしのなかでは、たとえば農作業の手伝いなど何かしらの役割を持っていた方たちですから」

    ここから「仕事をつくる」挑戦が、本格的に動き出します。

    しんせい
    福島県郡山市西ノ内1丁目25-2



    <撮影/星 亘 取材・文/保田さえ子>

    ※記事中の情報は『天然生活』本誌掲載時のものです



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