• ある日突然、目が見えなくなる──。2016年に一夜にして視力を失い、3歳の娘、そして生後3カ月の息子を抱えて、絶望の淵に突き落とされた石井健介さん。しかし、その「見えない世界」は新しい家族のあり方を教えてくれるものでもありました。家族が信頼し合い、支え合う。初のエッセイ本『見えない世界で見えてきたこと』(光文社)を刊行した石井さんに、目が見えなくなってからの家族の軌跡を伺いました。

    どんな家族にも凸凹がある。それを補い合うことが信頼に

    ──2025年に中学生になった娘さんが、小学校の卒業作文でお父さんの障がいをきっかけに仲間づくりについて考えた文章を綴っていますね

    画像: 娘さんの卒業文集を見せていただいた

    娘さんの卒業文集を見せていただいた

    僕が障がい者になって、彼女も障がいのある人と関わることが増えていく中で、人との関わりをどうつくっていけばいいのか、相手を知りたいと思うことが大事だと気づいたという内容です。初めて読んだときは「こんなふうに思っているんだ」とびっくりしました。

    その作文は、父親が当事者でないと書けない文章で、親として「自分の存在が彼女のためになっているんだ」と改めて実感し、うれしくなりました。

    作文にもありますが、彼女は障がいをフラットな状態で捉えていて、そういう人たちと親しくなるきっかけを自分なりにちゃんとわかっている。

    これは、別に障がい者だけに限りません。これからいろいろな人間関係を築いていくうえで、彼女にとって大きな強みになるでしょうし、本当にそれはよかったと思っています。

    ──突然、見えない世界で生きることになってさまざまな絶望を感じながら、ご家族と一緒に新しい世界の扉を開いてきた様子が伺えます

    どの家族にも凸凹があるものですよね。それをお互い補い合うのが家族。そういう意味では、別にほかの家族と違わないんじゃないかな、と。目が見えないから「これ、どこにあるかな?」と探してもらうのは家族にとって自然なことですよね。

    画像: 地元、館山の海沿いを歩く石井さん家族 (撮影/小禄慎一郎、『見えない世界で見えてきたこと』より)

    地元、館山の海沿いを歩く石井さん家族

    (撮影/小禄慎一郎、『見えない世界で見えてきたこと』より)

    家族って、ロールプレイングのゲームでいうところのパーティ(チーム)だと思うんです。困難をひとつひとつ一緒に乗り越えていくからこそ、揺るがない信頼がお互いにある。だから何があっても大丈夫という根拠のない自信はいつも持っていますね。

    大きな病気をして障がいを抱えることになりましたが、生きていることだけでありがたい。自分も相手もここにいるだけでOK。

    目が見えるときからそんな生き方がしたいと思っていましたが、見えなくなった今は、それが本当に腑に落ちたし、そんな生き方を実践できていると思います。

    ※ 後編では、失明によるつらい時期を乗り越えてきた石井さんの、人生を前向きに生きるための秘訣や楽しみ方をお届けします。近日公開予定。

    〈撮影/星 亘 取材・文/工藤千秋 撮影協力/BAR MEIJIU〉



    石井健介(いしい・けんすけ)
    ブラインドコミュニケーター

    1979年生まれ。アパレルやインテリア業界を経てフリーランスの営業・PRとして活動。2016年の4月、一夜にして視力を失うも、軽やかにしなやかに社会復帰。ダイアログ・イン・ザ・ダークでの勤務を経て、2021年からブラインドコミュニケーターとしての活動をスタート。さまざまな領域で活躍している。
    X:@madhatter_ken

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    見えない世界で見えてきたこと

    『見えない世界で見えてきたこと 』|石井健介(著)

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    あの日の朝、僕は目が覚めたら目が見えなくなっていた。
    36歳にして視力を失った著者による、まるで小説のような自伝エッセイ

    視力を失った僕は今、青く澄んだ闇の中に生きている。見えていたころには見えなかった、目には見えない大切なものが見えてきた。声を出して泣ききることも、人に頼って助けを求めることも、難しいことではなかったんだ。僕は生きることがずっと楽になった。



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