• ある日突然、目が見えなくなる──。2016年に一夜にして視力を失い、3歳の娘、そして生後3カ月の息子を抱えて、絶望の淵に突き落とされた石井健介さん。しかし、その「見えない世界」は新しい家族のあり方を教えてくれるものでもありました。家族が信頼し合い、支え合う。初のエッセイ本『見えない世界で見えてきたこと』(光文社)を刊行した石井さんに、目が見えなくなってからの家族の軌跡を伺いました。

    一方通行ではない、お互いがケアし合う家族の関係に

    ──パパと一緒に遊べることを娘さんも工夫して楽しむようになったんですね

    そうですね。目が見えるときの僕は親として小さな娘を守る立場でしたが、目が見えなくなってからは、一方通行ではない、ケアをしてケアをされるという関係性に変わりました。

    手をつないで歩いていても、娘が僕の安全を気にかけてくれたり、ゴミ捨て場にゴミを捨てに行く僕を娘が見守って、「そっちに行くと危ないよ」と声をかけてくれたり。

    今では、娘と一緒に出かけると、僕に周りの様子を説明してくれたりするのが、彼女にとって自然なことになっていて、助けてもらっています。

    画像: 手をとり合う石井さんと娘さん  (撮影/小禄慎一郎、『見えない世界で見えてきたこと』より)

    手をとり合う石井さんと娘さん

    (撮影/小禄慎一郎、『見えない世界で見えてきたこと』より)

    ──奥さまや息子さんとの関係性はいかがですか

    妻は職業柄というのもありますが、過剰なケアをすることもなく、必要なタイミングで手を貸してくれるというのは一貫していましたね。

    息子は当時、赤ちゃんだったので、2人きりになるのが怖かったんです。泣いても抱っこすることが怖くて、おむつ交換もできなかった。でも、だんだんと自分の心が回復して、見えない生活にも慣れていくうちに、「スリングなら大丈夫」というように少しずつ見えない状態でも息子の世話ができるようになっていきました。

    今、息子は小学4年生。目の見えない父親の記憶しかないと思いますが、天真爛漫な性格の彼は僕のことを「面白いおじさん」と思っている気がします(笑)。

    ※ 後編では、失明によるつらい時期を乗り越えてきた石井さんの、人生を前向きに生きるための秘訣や楽しみ方をお届けします。近日公開予定。

    〈撮影/星 亘 取材・文/工藤千秋 撮影協力/BAR MEIJIU〉



    石井健介(いしい・けんすけ)
    ブラインドコミュニケーター

    1979年生まれ。アパレルやインテリア業界を経てフリーランスの営業・PRとして活動。2016年の4月、一夜にして視力を失うも、軽やかにしなやかに社会復帰。ダイアログ・イン・ザ・ダークでの勤務を経て、2021年からブラインドコミュニケーターとしての活動をスタート。さまざまな領域で活躍している。
    X:@madhatter_ken

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    見えない世界で見えてきたこと

    『見えない世界で見えてきたこと 』|石井健介(著)

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    あの日の朝、僕は目が覚めたら目が見えなくなっていた。
    36歳にして視力を失った著者による、まるで小説のような自伝エッセイ

    視力を失った僕は今、青く澄んだ闇の中に生きている。見えていたころには見えなかった、目には見えない大切なものが見えてきた。声を出して泣ききることも、人に頼って助けを求めることも、難しいことではなかったんだ。僕は生きることがずっと楽になった。



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