• 多くの犠牲者が出た戦争から、今年でちょうど80年。当時のことを聞くことができる機会も少なくなってきました。でも、だからこそ私たちは戦争の記憶を風化させず、受け継いでいく思いを新たにする必要があるのではないでしょうか。ユーチューバーの多良美智子さんが、辛い過去を掘り起こし、戦争で受けた苦しみや悲しみについて語ってくださいました。
    (『天然生活』2025年9月号掲載)

    小学4年生のとき、学校が閉鎖に。姉母子と3人で疎開しました

    戦争が始まっても、生活が変わった実感はそれほどありませんでした。

    けれど終戦の前年、私が小学校4年生のときに小学校が突然閉鎖になったのです。

    私は1歳の赤ちゃんがいた一番上の姉と一緒に、母の知り合いのところに疎開することになりました。

    疎開先は、自宅からひと山越えた、さらに山の上にある家の離れです。

    荷物はほんの少ししか持っていきませんでしたが、その中にどういうわけか、本を1冊だけ入れていました。その本、『ピーターパン』を疎開中に何度繰り返し読んだかわかりません。

    疎開先での生活はとても辛いものでした。山の上の家から麓にある学校まで通うのが大変だったんです。しかも、やっと学校に着いてほっとしたと思ったら空襲警報が鳴り、また山を登って家まで戻らないといけない。

    だれにも会わない山の中をひとりでとぼとぼと歩いたことを思い出します。

    とはいえ、空襲警報の音やB29の姿を見聞きしてはいたものの、実際の爆撃を目にしたわけでもなく、戦争のイメージはなかなかわきませんでした。

    ラジオもいいニュースしか流さないので、何が起こっているのか知らなかったのです。

    疎開先の食事は麦ごはんに、梅干しとごま塩くらい。

    母屋にいる家主の家族の食事は、白いごはんにおいもが入っていたので、見るたびにうらやましくて。

    姉の子どもをおんぶして近所に散歩に行くと、野いちごがたくさんなっている場所があって、それを食べるのが楽しみでした。

    ただ、母や姉たちは果物や野菜を持って、山を越えてよく疎開先まで会いにきてくれました。

    * * *

    天然生活2025年9月号では、海老名香葉子さんと多良美智子さんの貴重な戦争のお話を特集しています。

    戦争を忘れず、平和への祈りを紡ぐために、ぜひ誌面でもじっくりお読みください。



    <撮影/林ひろし、馬場わかな 取材・文/嶌 陽子>

    多良美智子(たら・みちこ)
    1934年長崎生まれ。2020年に当時中学生だった孫と始めたYouTube「Earthおばあちゃんねる」では、日々の暮らしや料理をアップし、登録者数17万人を超える大人気チャンネルに。お元気シニアの代表として、多くの同世代や後輩世代に支持されている。著書に『90年、無理をしない生き方』『88歳ひとり暮らしの 元気をつくる台所』(ともにすばる舎)など。

    ※記事中の情報は『天然生活』本誌掲載時のものです



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