• 多くの犠牲者が出た戦争から、今年でちょうど80年。当時のことを聞くことができる機会も少なくなってきました。でも、だからこそ私たちは戦争の記憶を風化させず、受け継いでいく思いを新たにする必要があるのではないでしょうか。ユーチューバーの多良美智子さんが、辛い過去を掘り起こし、戦争で受けた苦しみや悲しみについて語ってくださいました。
    (『天然生活』2025年9月号掲載)

    長崎に原爆が落とされた日のことは、生涯忘れられません

    目がくらむほどの光と強い風。その後、黒い雨が降ってきた

    1945年8月9日の午前11時2分。長崎に原爆が落とされたのは、私が小学5年生、10歳のときです。この日のことは生涯忘れることはありません。

    その日、母が妹を連れて、前の晩から疎開先に来ていました。私も学校を休み、庭で洗濯物を干そうとしていた母のそばで妹と遊んでいました。

    突然、目がくらむほどの光がぴかっと来たのです。

    「何?」といっている間に、今度は強い風。家の前の竹林がざあっと倒れて、隠れていた向こうの風景がくっきり見えたのでびっくりしました。

    その後しばらくして、晴れていた空が曇ってきて、しとしとと黒い雨が降り始めました。それが原爆による放射性物質だと知ったのは後になってから。そのときは何も知らず、私たちは黒い雨を浴びてしまいました。

    やがて長崎市内を見渡せる峠に行ってきた近所の青年が戻ってきて「長崎は火の海だった」と。

    それを聞いてほかの家族は亡くなったと思い、みんなで泣きました。その日は夜になっても眠れなくて。そこへ姉たちが着られるだけの服を着て、持てるだけの荷物を持ってやって来たんです。

    市内に残っている父も、家も無事だと聞いて、本当にほっとしました。姉のひとりは来る途中、焼けただれて瀕死の状態のお友達に会い「多良さん、お水ちょうだい」といわれて水筒の水を飲ませてあげたそうです。

    のちに姉の夢にそのお友達が出てきて、「あのときのお水、とってもおいしかった」といったのだと聞きました。

    * * *

    天然生活2025年9月号では、海老名香葉子さんと多良美智子さんの貴重な戦争のお話を特集しています。

    戦争を忘れず、平和への祈りを紡ぐために、ぜひ誌面でもじっくりお読みください。



    <撮影/林ひろし、馬場わかな 取材・文/嶌 陽子>

    多良美智子(たら・みちこ)
    1934年長崎生まれ。2020年に当時中学生だった孫と始めたYouTube「Earthおばあちゃんねる」では、日々の暮らしや料理をアップし、登録者数17万人を超える大人気チャンネルに。お元気シニアの代表として、多くの同世代や後輩世代に支持されている。著書に『90年、無理をしない生き方』『88歳ひとり暮らしの 元気をつくる台所』(ともにすばる舎)など。

    ※記事中の情報は『天然生活』本誌掲載時のものです



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