• 80歳のデザイナー・斉藤照子さんの、服づくりの現場を拝見します。「ふたりの妹たちにお金をかけずに、服をつくってあげたい」という思いから、高校卒業後に洋裁を学んだ斉藤さん。いまは自由な服づくりに没頭する、ときめく毎日を過ごしています。
    (『天然生活』2024年9月号掲載)

    結婚後は、子どもを育てながら服をつくって

    卒業後は各国の大使館に出入りするテーラーに就職。

    川崎市の家からお店があった東京都渋谷区富ヶ谷まで通い、スーツやドレスといったかしこまった洋服をつくる毎日。

    「オーナーの松木さんという男性は、語学が堪能で、日本で何本かの指に入るという縫い子さんでした。そこで型紙なしで襟をつくるやり方を教えていただいて、すごい勉強になって。型紙しか頼りにしていなかったのに、型紙なしで作品になっていく様子に憧れちゃった」

    画像: 長年愛用している道具類

    長年愛用している道具類

    将来、自分もそんな縫い子になりたいと夢を抱きますが、2年で辞めることに。

    「お見合いをして、ほんとは結婚したくなかったの。貯めた結婚資金でお店を出したくて、でも結婚しなくちゃダメだって親に諭されて……」

    結婚後、夫の勤務地が当時、木更津市だったことから、川崎市から移り住みます。

    「結婚してすぐのころ、いまはもうないけど木更津港の近くの銀行の壁を借りて、洋服の展示販売をさせてもらったんです。1週間くらいだったかな。直接、お願いをして。自分で宣伝するとか苦手なのに、よくそんな行動を起こしたなと思うけど。いくつか注文をもらって、そのときから自宅で縫っています」

    画像: 結婚後は、子どもを育てながら服をつくって

    ふたりの子どもを育てながら注文があれば服をつくり、ときにはウエディングドレスの制作なども。

    「かなりのメーター数の生地を使用するので大変でした。だけど1点として同じデザインのものはなく、勉強にもなったし、楽しかった」

    ▼デザイナー・斉藤照子さんの記事はこちら



    〈撮影/落合由利子 構成・文/水野恵美子〉

    斉藤照子(さいとう・てるこ)
    ハンドメイドの服づくりに携わってきて半世紀以上。いまは自分のつくりたいものを自由に楽しみながら創作活動中。手にするデニムシャツは約50年前、子どもにつくったもの。編み物好きでもあり、ニット作品も多く手掛ける。SAITOSHOP

    ※記事中の情報は『天然生活』本誌掲載時のものです



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