(『天然生活』2025年4月号掲載)
人が喜んでくれることを生きがいに
「いまの自分があるのは、このたいした笹に恵まれたからなんだなって思うよ」
そう感謝の言葉を口にする桑田ミサオさんの笹餅は青く、清々しい笹の香りがほんのりとします。
津軽・金木(かなぎ)に伝わる笹餅は餅生地を笹で包んで蒸し上げたもの。
当然のことながら笹は蒸気で茶色く変色し、餅は冷めるとかたくなります。
もし、時間がたっても餅がやわらかく、笹の青さが保たれるようであったなら......、そんな笹餅をつくりたいと考え、ミサオさんは小さなことを積み重ねながら試行をくり返します。
ようやく納得できるものをつくり上げるまでに約5年、その後も改良をし続け、おいしいと評判になり、店頭に並べるとすぐに売り切れてしまうほどの人気になっていきました。

ミサオさんの笹餅工房。作業は早朝6時ごろから開始。撮影時は11月半ば。夜明け前、静寂な空気に包まれて
笹餅づくりの日々
ミサオさんの日常はほぼ笹餅づくりに費やされています。
笹餅をつくるのは週2日、ほかは笹を採りに山に入り、小豆を煮てあんをつくり、もち米を粉にひくといった作業を行い、それも細かいところまで手間をかけるのでどうしても多くの時間が必要になるのです。
1日につくる笹餅は約400個。1組2個200円で販売し、その売り上げから材料費、光熱費、人件費を差し引いたら利益はごくわずか。
息子・清次さんはミサオさんの体を気遣い、「もうけになんねえべ。ずっと働いてきたんだから休めばいい」と声をかけますが「人が喜んでいるのを見れば、自分もうれしくなる。楽しみでやっているんだで、いいんだ」と。以来、じっと静かに見守る側に。

作業中はずっと立ちっぱなし。笹に包んだ餅は殺菌を兼ねて1分ほど蒸す。熱がこもらぬよう手早く蒸し器から出して並べ置く
ミサオさんの工房には海外からも人が訪ねてきました。
垣根をつくらず、望まれればだれにでも笹餅づくりの様子をふだん通りにやって見せ、世代を超えてたくさんの人との交流が生まれ、弟子と名乗る人もたくさんできました。
現在、ミサオさんの意を汲み、金木の笹餅づくりを伝授する活動を行うお弟子さんたちもいます。
「水1滴で違うと、教えられました」というのは小嶋美子(よしこ)さん。ミサオさんは95歳の春、35年続けてきた笹餅づくりを引退し、いまは“ミサオさんの笹餅の後継者”として姪の娘にあたる美子さんが笹餅をつくっています。
後継者・美子さんへのバトン
美子さんにとって小さいころからおばちゃんと呼ぶほどミサオさんは身近な存在。
「将来、この笹餅をつくりなさい」とミサオさんから声をかけられ、50歳を過ぎてから笹餅づくりの作業をときどき手伝い、本格的に学び始めたのは美子さんが定年が近くなってからでした。
笹餅1個つくるための手間と労力は果てしなく、もうけは薄い、なかなか継ぐ覚悟ができなかったといいます。
「たった1滴の水が多いか、少ないかで生地は違うものに変わってしまう。おばちゃんは手の感触でそれを的確に見極められるぐらい体が覚え込んでいました。自分がそこまでわかるようになるにはいったいどれくらい時間が必要か......」と美子さん。
ミサオさんも笹餅づくりを始めたのは還暦を過ぎてから、だれに教わることなく、自分の舌をたよりにつくり上げてきました。
「ダメならダメで自分のできる範囲内のことをやることだな。失敗したからダメだで終わったらそこまで。失敗してもそれがまた勉強になるんだ」と語っていたミサオさんの前向きな言葉が心に残ります。
新しいことを始めるのはいくつになってからでも遅いということはないのです。
好きという気持ちと向き合いながらコツコツ続ける努力があれば。
ミサオさんはみずからの人生をそうやって切り開いてきたように思えます。
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<撮影/衛藤キヨコ 構成・文/水野恵美子>
桑田ミサオ(くわた・みさお)
1927年青森県・津軽生まれ。保育園の用務員を退職後、60歳から農協の無人販売所で販売する笹餅をつくり始める。山に分け入って笹の葉を採り、材料のこしあんから全て手づくりする笹餅は、またたくまにおいしいと評判となり、75歳で本格的に起業。79歳で津軽鉄道「ストーブ列車」に乗りながら、車内販売を始めると、「ミサオばあちゃんの笹餅」として注目を集める。2020年には、NHK「プロフェッショナル 仕事の流儀」に、「たった一人で年間5万個の笹餅を作り続ける職人」として取り上げられる。平成22年度農山漁村女性・シニア活動表彰 農林水産大臣賞受賞。令和3年春の勲章 旭日単光章受賞。95歳で笹餅づくりを引退する。
※記事中の情報は『天然生活』本誌掲載時のものです