新しい旅のスタイルは、「荷物を少なくかるく」
10日分の荷物が入るトランクを昨年、手放しました。20年ほど使っていましたが、60歳になる半年前「このトランクでの旅はこれから大変そう」と思い手放しました。いまは14歳になる黒ねこと暮らしていることもあり、しばらくは長期の旅行はむずかしそうです。出張もできるだけ日帰りのスケジュールを組むようにしています。旅の荷物も、形も、日数も、年齢により変化するのを実感しています。
この先、旅に出るときは「荷物は少なくかるく」と思っています。飛行機内に持ちこめるサイズのトランクを数年前から使いはじめ、できれば、このトランクひとつで国内外ともに旅に出たいと考えています。
以前は、旅先で出合うすてきな物や行った先での買い物がたくさんありました。いまは、そう思うものがほとんどありません。歳を重ね欲がなくなったのではなく、大きな重い荷物を持ち歩きたくないのです。また、ほしいもの・買いたい物が多いと落ち着きません。手放したトランクは、旅先から持ち帰るものを考慮してのサイズでもありました。
増やした荷物は「茶道具一式」
ところが──。60歳になった日、新たに持っていきたいものができました。「荷物は少なくかるく」と半年前まで思っていたにも関わらず。
先の春、友人が住む地へ出かける際、わたしは、茶道具一式を持参しました。旅用の簡素なものです。器は友人宅のものを使わせてもらおうと割れる心配のないものだけを手荷物にしました。出発の朝、思いついたことです。

茶筅、茶杓、棗、茶濾し、茶巾。お茶道具は意外とコンパクトです

茶箱代わりのオーバルボックスはスカーフで包んで

気に入った道具が見つかるまでは他のもので代用しながら。茶巾入れは旅行用の白い棗を利用
1泊だけの短い滞在。帰る日の午後、友人宅のリビングでわたしはお茶を点てました。木々の芽吹き。鳥の囀り。山をわたる春の風。いつもはおしゃべりで弾む時間が、その時だけ静寂につつまれました。
お茶を介して生まれた、友人との新しい交流
山の恵みの水で点てたお茶をそっと手にとり口に運ぶ友人。その姿は、それまで知らなかった友人の一面を見たような瞬間でした。そこには、いつものような言葉のやりとりはありませんでしたが、それとは別に、言葉を介さないやりとりがあった気がします。と、同時に「わたしのあたらしい旅の形」を見つけた気持ちになりました。
これからの旅の基本は「荷物は少なくかるく」と思っています。思っていますが、多少かさばっても、持っていきたいものがあるのなら持参してもいいのかもしれません。いえ。そうします。他の荷物を少なくした分、持っていく余裕ができたのです。
これから行ってみたいと思っている旅先
「行きたいところリスト」には、いま、国内では、琵琶湖畔の針江、国外では、スペイン・サンティアゴ・デ・コンポステーラがあります。針江では清らかな水で、サンティアゴ・デ・コンポステーラでは道々で、お茶を点ててみたいと思っています。
60歳になりふり返って思うのは、旅に必要なのは、何といっても体力です。「旅は若いうちに少しムリをしても行くほうがいい」とよく言われますが、本当にそう思います。若いころのような旅は、もうできません。体力があるというのは、旅の最強の味方です。
その代わり、いまは、人生のなかで見つけた大切なものを手にあたらしい旅にでかけようと思います。

旅先でお菓子を見つけても。日持ちする干菓子・半生菓子・お饅頭などは持参しても

広瀬裕子(ひろせ・ゆうこ)
エッセイスト、設計事務所共同代表、空間デザイン・ディレクター。東京、葉山、鎌倉、瀬戸内を経て、2023年から再び東京在住。現在は、執筆のほか、ホテルや店舗、住宅などの空間設計のディレクションにも携わる。近著に『50歳からはじまる、新しい暮らし』『55歳、大人のまんなか』(PHP研究所)、最新刊は『60歳からあたらしい私』(扶桑社)。インスタグラム:@yukohirose19