料理人の経験を生かし、第57次南極観測隊の調理隊員に
南極に旅立つ前は、家事や育児をこなしながら調理の仕事をつづけていた渡貫さん。3度目の挑戦で「南極地域観測隊の調理隊員になりたい!」という夢を叶えました。
約1年間の南極生活では、隊員30人分の朝昼晩の献立、雪上車で食べるお弁当、過酷な生活の息抜きになるスイーツ……と、みんなが喜ぶ食事づくりに精を出します。
隊員同士で協力し合い、インフラを整えながら暮らす南極での生活。
「自分たちが出したごみは自分たちでどうにかしなければならない」
食材の生ごみや容器のプラスチックごみが出てしまう「調理」を担当することもあり、その環境下が渡貫さんの意識を大きく変えました。
南極に行く前の私はごみの行方なんて考えていなかった
自治体のルールに沿ってごみの分別をきちんとしているし、ごみに対する意識は高いほう!
南極に行く前の私はそのように自負していたのですが、それは思い上がりでした。
私が意識していたのは「ごみの集積所」までのこと。自分の手から離れたらごみのことなんて他人事で、誰かが処理してくれるもの。そこから先のごみの行方なんて、考えもしていなかったのです。
南極での生活は、電気や水も現地でつくる、いわば小さな自治体。環境保護条約のもと、廃棄物はすべて自国に持ち帰るため、現地で処理できるものは処理をし、ドラム缶やコンテナに入れて船に積み込みます。そして自分たちが出したごみとともに帰国することになるのです。

灰などはドラム缶の中に入れて持ち帰る

段ボールは圧縮してコンテナにまとめて持ち帰る
当たり前ですが、生活する以上、南極であってもごみは毎日排出されます。ごみが出ることが当たり前で、出ない日なんてないのです。
いままでは集積所までしか見てこなかったごみが、常に自分の近くにあることで、私のごみに対する意識に変化が生まれました。
ごみ処理を担当する人が自分の「仲間」だったら?
昭和基地では、ごみの重さを種類ごとに毎日計量し、一覧表に書き込みます。しかも、計量するのは環境保全担当者(南極生活で出たごみや汚水の処理を担当する人)ではなく、全隊員に交代制で回ってくる当直さん。
担当者だけではなく、全員がごみに接することで、自分事としてごみを捉えることができました。
数値化されることで、より「ごみを減らしたい」という意識が生まれ、またあるときは、ごみの量が増えると「なぜ増えたのか?」と推察するなんてこともありました。

生活の拠点・昭和基地の食堂のごみ箱群

調理で出たごみは厨房内の残渣分別用のごみ箱に
それ以上に私が「ごみを減らさなければ!」と思えたのは、ごみ処理を担当する環境保全担当者が「仲間」であったからだと思います。
いままで知らなかった、知ろうともしなかった集積所の先を垣間見たとき、ごみを処理することがいかに時間を要する重労働なのかを思い知ったのです。

ごみの計量などを行う昭和基地内のごみ集積場
交代要員がいてきちんと休みが取れる自分と違って、ひたすらワンオペで仕事をしている様を見て、「仲間の負担を減らすために、自分にできることは何だろう?」と思えたのです。
私が思いついたのは、「まずは生ごみを減らそう!」という意識。残った料理は別の料理にリメイクして食べ切ってもらえるように工夫し、これをつくるためにはこの材料が必要という固定概念を捨てて、あるものを組み合わせて料理をつくるというスタイルに切り替わっていきました。
食べてくださるお客様に食中毒などの健康被害があってはならない。そのためにも廃棄はやむを得ない……そう思っていた料理人時代の私の価値観が大きく変わったきっかけは、南極での経験でした。
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〈文/渡貫淳子〉
渡貫淳子(わたぬき・じゅんこ)

第57次南極地域観測隊の調理隊員。1973年青森県八戸市生まれ。調理の専門学校を卒業後、同校に就職。結婚後、出産を機に退職するも、その後も家事・育児をこなしながら調理の仕事を続ける。30代後半に南極地域観測隊の調理隊員への夢を抱き、3度目のチャレンジで合格。昭和基地史上2人目の女性調理隊員(民間人では初)。南極でよくつくっていた「悪魔のおにぎり」をモデルに、某コンビニチェーンが商品化したことでも注目される。現在は南極での経験を元に、フードロスや環境問題、防災、男女共同参画などをテーマにした講演活動を行う。近著に『私たちの暮らしに生かせる 南極レシピ』(家の光協会)がある。
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