• 松浦弥太郎さんが30歳の頃、毎朝ブログに書いていた「今日もていねいに。」という言葉。それは、自分へのささやかな約束であり、一日を前向きにするためのおまじないでした。でも、毎日書き続けるうちに「ていねいに暮らす」とは一体どういうことなんだろう? という疑問がふとわいてきたそう。ひとつの言葉から始まった哲学の旅の末、たどり着いた答えとは? 言葉と向き合うことが、自分を知ることにつながるエッセイです。
    (『天然生活』2025年1月号掲載)

    ふわっとした言葉の意味をどう解釈し、定義するか

    ていねいとは、まじめにきちんとすること。こうであるべきという一般常識に則って、何事にも精一杯の正しさで向き合う、所作や発言、行動であるというのが、表面的なイメージである。

    しかし、いや、それは違うのではないか、もっと本質的な意味や解釈があるのではないかという疑問がぼくにはあった。

    毎朝「今日もていねいに。」と書きながら、思いふける日が続いた。ていねいとはなんだろうと。

    こんなふうに暮らしにおいて、ふわっとした言葉がいくつもあるということに気がついた。たとえば、愛する、信じる、友だち、働く、生きるとかもそうかもしれない。

    いいなあと思うことばがあり、それを声にしたり、書いてみたりするけれど、それって一体どんなことなのだろう。自分はどう解釈し、どう定義するのだろう、というように。

    人それぞれのイメージはあるだろうけれど、きちんとその意味を理解し、納得ができたら、きっとそれは自分自身のアイデンティティの種になるのだろうと思った。

    画像: ふわっとした言葉の意味をどう解釈し、定義するか

    「今日もていねいに。」ということばがきっかけになり、とても小さな哲学をするようになり、その哲学というものが、自分の暮らし、仕事、さらに人生という歩みの栄養になっていく実感を持った。

    そうしてぼくは「今日もていねいに。」ということばを、自分の書く文章の末に、常に書き添えるようになり、自分なりの「今日もていねいに。」とはこういうことです、という考えを一冊の本にまとめるに至った。

    このときこそ、自分が大切にしていることばをきっかけとして、そのふわっとした抽象概念を、自分の経験と理解、学んできたこと、信じていることでわかりやすく紐解き、エッセイという読み物で、読者と分かち合うというライフワークを見つけた瞬間だった。

    そしてまた、この取り組みは『暮しの手帖』を作る上で指針にもなり、ひとつのことばを考え続けるという生き方にもなっていった。



    〈イラスト/松栄舞子〉

    松浦弥太郎(まつうら・やたろう)
    エッセイスト。クリエーティブディレクター。暮しの手帖編集長を経て、「正直、親切、笑顔」を信条とし、暮らしや仕事における、たのしさや豊かさ、学びについての執筆や活動を続ける。著書に『今日もていねいに。』(PHPエディターズ)『しごとのきほん くらしのきほん100』(マガジンハウス)など多数。新刊は『松浦弥太郎のきほん』(扶桑社)。

    ※記事中の情報は『天然生活』本誌掲載時のものです

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    『松浦弥太郎のきほん』(松浦弥太郎・著/扶桑社・刊)

    画像: 30歳の頃、毎朝ブログの文末に書いた「今日もていねいに。」という言葉。ひとつの言葉が、生き方そのものを支え、生きるちからとなってゆく/エッセイスト・松浦弥太郎さん

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    50代半ば・松浦弥太郎の新しい生き方

    あれやこれや、せっせとのんびり、考えたり悩んだりのありさまを、 みなさんに見たり読んだりしてもらいたくて、作りました。いわば、松浦弥太郎による、松浦弥太郎のきほんです。(はじめにより抜粋)

    50代半ばを過ぎて、日々前向きに暮らしてはいるものの、漠然とした不安やさみしさがあるといいます。

    自身が撮影した写真とともに、自分を客観視しながら、いまの「松浦弥太郎」を等身大で綴った一冊。

    装丁は「ミナ ペルホネン」のビジュアルブックをはじめ、数々の図録や写真集の装丁・造本を手掛けるサイトヲヒデユキさんによるもの。美しいデザイン、紙の手触り、写真の重厚感など、紙の本ならではの世界観もお楽しみください。



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