(『天然生活』2025年2月号掲載)
新薬を開発する研究の世界で膨らんだ疑問や不満
金子さんが新規就農者として、この牧場を始めたのは2020年。それまで農業とは縁もゆかりもない仕事、新薬開発の技術研究者として20年働いてきました。
「動物が好きで、子どものときから獣医になりたかったんです。それが大学に進学する時期、『動物のお医者さん』というマンガが大ヒットし、獣医学部の倍率がすごく上がってしまって。私、好きな科目は一生懸命すごくやるんですけど、興味がない科目はまったくダメで。獣医学部に入るのは難しいと畜産科に進みました」

牛舎はいつも開け放ち、牛は内と外を自由に行き来できるようにしてあるので、雨の日でも雪でも外に出ていく。広い牧草地を自由に歩くので体が丈夫になり、ストレスも受けにくく病気にもなりにくい。金子さんは家畜を快適な環境下で飼育する「アニマルウェルフェア認証」を取得している
芝や草を刈ったり、牛体洗浄(牛の体を洗う)といった実習が山ほどあったといいます。卒業後、大学や製薬会社の研究室で新薬を開発する研究の世界に。
「始めはやりがいを感じ、経験を重ねるうちに自信もついてきました。けれども、意図する結果を早く求めようとあまりに多くの動物の命を犠牲にしたり、むだにしたり……、長年働くうちに疑問や不満が膨らんでいきました」
フランスの牧場で見た「自由で楽な働き方」
39歳のとき、1カ月半の休みを取り、フランス・ノルマンディーの牧場に住み込みで働きます。
「観光ではなく、その土地で生きる暮らしをしてみたいと思って」
そこで見たのは自由な働き方でした。稼いだらどこかに行き、お金がなくなるとまた戻って働くというスタイル。そして慣れない仕事を一生懸命に働く金子さんに「『そんなにがんばらなくていいよ。君ができなければほかの人が引き継ぐから』と声をかけられ、なんて自由で楽な生き方なんだろうと気づかされて。私も、好きなことをして自由に生きたいと思いました」
帰国後、職場復帰しますが、もうこれ以上は無理と退職届を出し、知人の誘いで河口湖に移住。まったく先のあてもないままでした。ほどなくして酪農の仕事の求人が出ていることを聞き、迷わず応募。
「大学で学んできたことの原点回帰というのか、こういうことが途中からやりたくなったんですよね」

金子さんはトレーラーハウスを住居にしている。右はチーズ工房としてあとから追加注文した。屋根は2024年の夏に付けたもの
縁あってその牧場で2年、3年と経験を積むうちに、この辺りで土地を見つけ、酪農を始めたいと思うようになっていきました。しかし、新規就農者が農地を手に入れるのはそう簡単なことではありません。日本には農地法という法律があって、とにかくそのハードルが高いのです。
牧場は河口湖の借家から車で30分ほどかかる場所でした。
「住んでいた家が古くて住みにくかったんです。トレーラーハウスだったら自分の好きなように住めるかなと。牧場には土地がいっぱいあったので、『そこにトレーラーハウスを置いて生活してもいい?』と聞いてみたら、いいよというから、軽い気持ちでトレーラーハウスを注文したんです。いつでも動かせるので。するといままで何も動かなかった状況が変わりはじめて。3〜4カ月後、ここの牧場の元主から、この土地を売るといわれて保留にされていた話が、売ってもいいと連絡が入り、事が進んでいきました。営農計画書を農業委員会に提出し、牧場で3年働いた実績と、家もすでに買って用意してあることを主張すると、ようやく許可が下りて」

牛乳の味は四季によって変化する。青草を食べる春から秋はほんのり黄色く、干し草を食べる冬は味の余韻が残る

猫も牛乳が大好き。搾乳した牛乳を目当てに近づいてきた。1匹の猫からどんどんファミリーが増加中とのこと
金子さんは6ヘクタールの土地を無利子で借りられる融資を利用しながら土地や牛、資材を購入し、以前、使われていた牛舎は手を入れて改築。牛は当初から少ない頭数でいこうと決めていました。
牛乳を売って生計を立てるのではなく、少ない頭数でも暮らしていけるよう牛乳を加工し、自分の手でチーズをつくろうと考えたのです。

手がけるチーズは4種。ほかにモッツァレラ、セミハードチーズがある
〈撮影/星 亘 構成・文/水野恵美子〉
金子さおり(かねこ・さおり)

元新薬開発の技術者。山梨県富士ヶ嶺地区の酪農家の下で3年働き、2020年46歳で「Mt.Fuji Craft! Farm」を立ち上げる。
https://www.mtfujicraftfarm.com/
※記事中の情報は『天然生活』本誌掲載時のものです




