• 仕事を頑張ったとき、おいしいおかずをつくれたとき、心のどこかで「褒められたい」と思うもの。けれど、“誰かに褒められること”を目指した他人軸の生き方はつらいと、優等生で育った一田憲子さんは話します。褒められなくても生きられるようになるために、自分の心を満たしてくれる新たな単位を探っている一田さん。今回は、周囲の人との境界線のお話。

    誰かと比べることでしか自分の価値を認められない

    私の父はいばりんぼで、93歳になった今も会社員だった時代に、海外を飛び回って仕事をしていたことをしょっちゅう自慢しています。壊れたカセットテープのように、何度も何度も同じ話をするので、母も私もうんざり。

    でも、それ以上にイヤなのが、やがて人を批判し始めること。

    テレビで見た政治家、野球選手、果ては自分の知り合い。そんな人々に対して「あいつはなっとらん!」とか「ここがこんなふうにダメなんだ」と分析を始める……。

    そんな話を半分聞き流しながら、ああ、父は「人を下げることで、自分を上げているんだなあ」といつも思います。

    画像: 撮影/馬場わかな(『褒められなくても、生きられるようになりましょう』主婦の友社より)

    撮影/馬場わかな(『褒められなくても、生きられるようになりましょう』主婦の友社より)

    うんざりと言いながら、そんな父の血が自分にも流れているなあと感じることがあります。口には出さないけれど、私にもすぐに心の中で人をジャッジしてしまう癖があります。「この人のこんなところは素晴らしいけれど、あそこはダメだな」とか「あの人は、人はいいけれど優しくないかもな」とか……。

    ふと気づくと「ダメなところ探し」をしている自分を見つけて、「あ〜あ、またやっちまった」と自己嫌悪に陥ることもしばしば。他人の「できていないこと」や「イマイチな性格」などを指さして「私はそうじゃないもんね〜」「私はちゃんとできてるもんね〜」と言いたがっているんだよなあ。

    誰かと「比べる」ことでしか、自分の価値を認識できない、という父と同じこの性格から、なんとか抜け出したいといつも思います。

    仏教に教わる、あなたと私の境界線をぼやかすこと

    『暮らしのおへそ Vol.41』で、町田にある簗田(りょうでん)寺の副住職、齋藤紘良(こうりょう)さんを取材させていただきました。その齋藤さんが語ってくださったのが、仏教のいちばん大切な教え「ご縁」について。

    「ご縁」とは、つながりをつくるということとよくいわれますが、本当の意味は「あなた」と「私」の境界がなくなるということなのだそう。

    「世界は自分だけではなく、いろいろな意思が絡み合ってできています。私が選んだことでもないし、ここに座っているのはただ『ご縁』があるから。そうやって、どんどん私が解体されていくと、あるがままの今の状態を、どうやって理解していくかが大事になるんですよね」
    (『暮らしのおへそ Vol.41』)

    つまり、私がやり遂げた仕事は、私だけの力ではなく、いろいろな方に助けてもらったからできたこと。ここに座っていられるのは、母が私を産み、両親が育て、健康でいられるからこそ。

    すべてはいろいろな理由がつながって、「今ここ」がある。この真実を理解できれば、「誰がやった」とか「あの人より私がすごい」などは関係ない、ということもわかってきます。

    この「あなた」と「私」の境界をぼやかしていく、という思考は、褒められたがりの私にとって、とても大きな気づきを与えてくれました。

    「あなた」と「私」を分断するから「誰かより私が優れている」とか、「あの人のここがダメ」という、優劣を自分の心が生み出し、「褒められたい」という欲望がムクムクと湧き起こってしまいます。

    「あなた」と「私」の境界を消し去ることで、「誰が」という概念が消え、ただ、今起こっている状況を静かに受け止めることができるそう。

    そして、この境界線をぼやかす第一歩として、「よく聞く」ということから始めてみようかと思っています。

    「こんな人」と決めつけてしまうと、とたんに耳にフィルターがかかり、せっかく語ってくれた言葉が聞こえなくなります。まずは、このフィルターを取り除くことから。

    たとえ自分と価値観や感性が違うと感じても、「あなた」の中に入り込んで耳を澄ませてみる……。すると、拾い上げることができる言葉が、ずっと多くなり、今いる世界が大きく広がるような気がします。

    相手の言葉をすべて「よきこと」として聞いてみる

    最近、SNSで「天国言葉」というものがある、と初めて知りました。「愛してます」「ついてる」「うれしい」「楽しい」「しあわせ」「感謝してます」「ありがとう」「ゆるします」という8つの言葉のこと。

    この言葉をたくさん口にすると、不思議と「また言いたくなる出来事」が起こってくるのだとか。

    すべてを「よきこと」と肯定して聞いてみる……。すると、相手の中にある「よきこと」が自分の中に移動して、いい循環が始まるのかも。

    いばりんぼの父も、なんの仕事もせず、新たに誰かから褒めてもらえなくなった今、過去の自分を自分で褒めて、生きる力を得ているんだなあと思えば、その言葉をもう少し優しく聞いてあげられるのかなあと思います。

    世界中に確かに存在している「よきこと」が少しずつ見えるようになったら、きっと今のままで幸せになれるはずと信じてみたくなりました。

    〈写真/馬場わかな〉

    ※本記事は『褒められなくても、生きられるようになりましょう』(主婦の友社)からの抜粋です。

    『褒められなくても、生きられるようになりましょう』(一田憲子・著/主婦の友社・刊)

    画像: 60歳を過ぎて気づいた大人の「承認欲求」の手放し方。お坊さんに教わる“褒められなくても”幸せに生きる道/一田憲子さん(編集者・ライター)

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    ◆自分で自分に「花丸」を。褒められなくても、生きられるようになりましょう◆

    幼いころから優等生体質で育ち、褒められることが大好きという一田さん。

    けれど、褒められたいという「承認欲求」にとらわれていると、自分を消耗してしまい、生きることがとてもつらいと話します。

    本書は、誰かに褒められたい、けれど自分で自分を褒められるようになりたいともがく一田さんの、正直で力強い書きおろしエッセイ集。

    「他人軸で生きることをやめたい」「褒められなくても生きられるようになりたい」と願うあなたに、人生のハンドルを自分の手で握るためのヒントをくれる1冊です。

    ● 1章 どうして褒められたいの?
    「私を見つけてほしい」から「誰かを見つけたい」へ/「褒めてほしい」と望むより自分が何をやり遂げたのかを冷静に分析してみることが大事/「褒められるように」を「喜んでもらえるように」にひっくり返す/「褒められる」より「役に立つ」ほうが、きっとずっと嬉しい……

    ● 2章 「褒められたい」を抜け出すためには?
    「売れなかったら負け」の世界から抜ける/なにかをやり終えた瞬間の満足感をマックスにする/自分で自分の100点満点を設定する生き方に/「あなた」と「私」の境界線をぼやかし、相手の言葉をすべて「よきこと」として聞いてみる……

    ● 3章 小さく心が満たされる日々を
    暮らしの中の「心地よさ」を設定すれば、自分で自分に花丸をつける日がやってくる/楽しむことを自分に許せる人に/温泉から帰って、「やっぱり家が一番!」と言う理由を考えてみる/自宅の中にある「幸せな風景」をひとつずつ再確認してみる/台所の中にある「確かさ」に気付く……

    ● 4章 褒められなくたってへっちゃら
    「褒められたい」とつい思っちゃったって大丈夫!/自分が今、尊敬できる人を思い浮かべてみたら、「みんなに褒められている」人じゃなかった!/「自分のまんま」生きたいけれど、「誰かの目」も気になる。両方あって、それでいい/褒められたくなったら、バスに乗ろう!……など



    一田憲子(いちだ・のりこ)
    1964年京都府生まれ。編集者・ライター。OL、編集プロダクション勤務を経てフリーライターとして独立し、女性向け雑誌・書籍などの取材・執筆で活躍。暮らし、おしゃれ、仕事、人間関係、年齢の重ね方などについての、日常の中の揺らぎや気づきを丁寧にすくい取る文章で、幅広い共感を集める。『暮らしのおへそ』『大人になったら、着たい服』(ともに主婦と生活社)を立ち上げ、イベントも開催。『最後の答えは、きっと暮らしの中にある。』(内外出版社)、『小さなエンジンで暮らしてみたら』(大和書房)など、著書多数。自身のWebマガジン『外の音、内の香』では、さまざまなコンテンツを配信。「一田書房」を主宰し、「書く暮らし」の楽しみを伝えている。



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