いくつになっても「誰かに褒めてほしい」思いはある
歳を重ねると、少しずつ社会との接点が減っていきます。会社を辞めたり、子供が独立して学校関係の付き合いがなくなったり……。
一日中家にいて、誰とも会わないおばあちゃんになったら「誰かに褒めてほしい」なんて、思わなくなるのかなあ? そう考えると少し寂しくなってきました。
もしかして「褒めてほしい」と願うのは、社会活動をしていてこそなのでしょうか?

撮影/馬場わかな(『褒められなくても、生きられるようになりましょう』主婦の友社より)
83歳になる母が、最近マンションで月1回開催されるお茶会に出かけている、と話してくれました。
私が10代のときに新築で購入した実家のマンションでは、住人がみな高齢となり、夫婦どちらかに先立たれたり、遠くまで出かける体力がなくなったり。だったら、みんなで集まっておしゃべりしましょう、ということになったよう。
そこで、母は自分の家事の仕方や部屋の整え方を少し話したそう。するとみなさんが「部屋が見てみたい!」となって、お茶会が終了してから、4〜5人の人ががやがやと我が家にやってきたのだといいます。
「『いつリフォームしたのですか?』と聞かれたから『30年ぐらい前かなあ』と答えたら、みんなびっくりしていたよ。どうやって掃除しているの?とか、この家具はどこの?とかいろいろ聞かれてねえ」と、ちょっと得意げに話す母。
専業主婦で、普段は誰も褒めてくれないので、こういう機会があると、自分が長年続けてきたことを認めてもらえて嬉しいよう。「そっか、やっぱり母も褒めてほしかったのか」とあらためて思いました。
「褒める」「褒められる」のやりとりはエールの交換
「褒める」「褒められる」という行為は、人と人が交わってこそ生まれるコミュニケーションのひとつなのかもしれません。
誰かが手掛けていることに対して「すごいねえ〜」と拍手を送る。拍手を送られた人はきっと、「褒められる」ことで、自分が費やした時間が、誰かの価値観と交差していることを感じ、自分ではない他人の共感を得ることで、「私がここにいる意味があった」と肯定してもらった嬉しさを感じます。
だとすれば、「褒められる」ことはちっとも悪いことではない、と思えてきます。なのに、私はどうして「褒められなくても、生きられるようになりたい」と願うのでしょう?
そう願うようになったはじまりは「褒められない苦しさ」にあります。
頑張ったのに、あれだけの時間を使ったのに、あの人のために動いたのに、褒められない……。誰も私のことを認めてくれない……。
果てしなく長い母の時間の上に、珍しくマンションの住人がやってきたひとときは、ほんの「点」でしかありません。
そうか! 「褒められること」を目的とするから、それが手に入らないと苦しくなるんだ、とわかってきました。淡々と続けてきたことを、たまたま見かけたり、耳にしたりした他人からの拍手は、求めるものではなく、受け取るものなのだ……。
「褒める」「褒められる」というやりとりは、決して悪いことでなく、相手を認めたり、称賛の声を送ったりと、ともに生きている「誰か」を感じるために、とても大切なエールの交換です。だったらこれを上手に利用できる人になりたいもの。
誰かの「いいとこ探し」ができるおばあちゃんになりたい
たったひとりで、一日誰にも会わずに過ごすようになったら、寂しい毎日から抜け出すために、誰かを褒めてあげられるようになりたいなあと思います。
スーパーでレジ打ちのスタッフが、とてもにこやかだったら「あなたの笑顔はいいわねえ」と口に出すだけで、その人をちょっとウキウキさせてあげることができるかもしれません。「誰も褒めてくれない」とブスくれていると、「褒める」ことまで下手になります。
ときどき、一緒に出かけた友人が、「わあ、あの人すご〜い」「この人素晴らしいわねえ」と感動しているのを耳にしてハッとすることがあります。同じものを見て、聞いているはずなのに、こんなに他人の何かを見つけて感動できるなんて……。
私はといえば「こんなこと誰でもやってるよ」「大したことないし」と、知らず知らずのうちに張り合って、「私のほうがすごいし……」と思って、褒め言葉を呑みこんでしまいます。
どうやら、他人の「いいところ」を見つけられる能力は、使い続けていないと鈍ってくるよう。そして自分のちっぽけなプライドを脱ぎ捨てないと「すご〜い」と心から言えなくなってしまいます。
「褒める」「褒められる」という上質なコミュニケーションを楽しむためにも、誰かの「いいとこ探し」ができるおばあちゃんになりたいなと思います。
〈写真/馬場わかな〉
※本記事は『褒められなくても、生きられるようになりましょう』(主婦の友社)からの抜粋です。
◆自分で自分に「花丸」を。褒められなくても、生きられるようになりましょう◆
幼いころから優等生体質で育ち、褒められることが大好きという一田さん。
けれど、褒められたいという「承認欲求」にとらわれていると、自分を消耗してしまい、生きることがとてもつらいと話します。
本書は、誰かに褒められたい、けれど自分で自分を褒められるようになりたいともがく一田さんの、正直で力強い書きおろしエッセイ集。
「他人軸で生きることをやめたい」「褒められなくても生きられるようになりたい」と願うあなたに、人生のハンドルを自分の手で握るためのヒントをくれる1冊です。
● 1章 どうして褒められたいの?「私を見つけてほしい」から「誰かを見つけたい」へ/「褒めてほしい」と望むより自分が何をやり遂げたのかを冷静に分析してみることが大事/「褒められるように」を「喜んでもらえるように」にひっくり返す/「褒められる」より「役に立つ」ほうが、きっとずっと嬉しい……
● 2章 「褒められたい」を抜け出すためには?
「売れなかったら負け」の世界から抜ける/なにかをやり終えた瞬間の満足感をマックスにする/自分で自分の100点満点を設定する生き方に/「あなた」と「私」の境界線をぼやかし、相手の言葉をすべて「よきこと」として聞いてみる……
● 3章 小さく心が満たされる日々を
暮らしの中の「心地よさ」を設定すれば、自分で自分に花丸をつける日がやってくる/楽しむことを自分に許せる人に/温泉から帰って、「やっぱり家が一番!」と言う理由を考えてみる/自宅の中にある「幸せな風景」をひとつずつ再確認してみる/台所の中にある「確かさ」に気付く……
● 4章 褒められなくたってへっちゃら
「褒められたい」とつい思っちゃったって大丈夫!/自分が今、尊敬できる人を思い浮かべてみたら、「みんなに褒められている」人じゃなかった!/「自分のまんま」生きたいけれど、「誰かの目」も気になる。両方あって、それでいい/褒められたくなったら、バスに乗ろう!……など
一田憲子(いちだ・のりこ)
1964年京都府生まれ。編集者・ライター。OL、編集プロダクション勤務を経てフリーライターとして独立し、女性向け雑誌・書籍などの取材・執筆で活躍。暮らし、おしゃれ、仕事、人間関係、年齢の重ね方などについての、日常の中の揺らぎや気づきを丁寧にすくい取る文章で、幅広い共感を集める。『暮らしのおへそ』『大人になったら、着たい服』(ともに主婦と生活社)を立ち上げ、イベントも開催。『最後の答えは、きっと暮らしの中にある。』(内外出版社)、『小さなエンジンで暮らしてみたら』(大和書房)など、著書多数。自身のWebマガジン『外の音、内の香』では、さまざまなコンテンツを配信。「一田書房」を主宰し、「書く暮らし」の楽しみを伝えている。






