• 熊本県・阿蘇の山奥で平日は畑仕事、週末は夫と小さなレストランを営んでいる折居多恵さん。もともと雑貨クリエイターとして東京で店を経営しており、仕事も暮らしも無理をしてでも計画的に進めるタイプ。田舎暮らしをしたかったわけではないといいます。計画や常識より“面白さ”を優先した結果、思いもよらなかった場所で、50代のいまも、日々、あたらしい自分を発見しているそう。今回は「だれもが暮らしのクリエイター」と気づいたお話。

    夫の体調不良と大地震が生き方を変えた

    熊本県阿蘇の産山(うぶやま)村に夫婦で移住して10年。若いころには思いもよらなかった場所で、予想もしていなかった農業者となりました。

    きっかけは夫の体調不良と熊本地震が重なったことでした。熊本市のフレンチのカフェレストランでオーナーシェフをしていた夫は持病の腰痛でコルセットをしながら無理やり厨房に立っていたのですが、症状がさらに悪化していた時期に、あの熊本地震が起きたのです。

    私は当時、東京から熊本市内に移住してクリエイターを続けながらレストランをサポートしていました。被災時は、杖が必要な夫の祖母と、同じく杖がないと動けない夫、妊婦の義妹を抱え、電気もガスも水道も止まり、一週間近くなにもできなかった。不自由だったうえに、毎日何十回もある余震は本当に怖くて。そのときに思ったのが、この場所で死ぬのは嫌だ! でした。

    どんなに計画的に生きていても、地震であっという間に死んでしまうかもしれない。でも、地震を完全に避けることはできないし、人はみんないつか死ぬ。それなら次は、ここでなら死んでもいいなと思える場所で生きてみようと思うようになりました。

    偶然の出会いから流れるように山奥に移住

    画像: 偶然の出会いから流れるように山奥に移住

    夫に療養も必要だったためレストランを閉じ、数カ月間、はじめての長期休みをとりました。短期で家を借り、夫婦で散歩をしたり、知人の仕事を手伝ったり。意外に楽しく、こんな生き方でもいいんだという発見が。

    療養期間中、夫は料理人に戻る気はなく、飲食店での経験から、今度はワインをつくってみたい、ぶどうを育ててみたいという話になり、家と畑を探すことに。そのとき紹介されたのが、いまはお店に改装した産山村の牛小屋つきの小さな家です。

    「本当にこの先に家があるの?」と思わせる細くて曲がりくねった山道の先に、コスモスだらけの野原が広がり、その中にぽつんと家と牛小屋が立っていました。その風景がかわいくて忘れられず、「私だったら住まないなぁ」という人もいたような本当に小屋のような家と牛小屋でしたが、気がついたら住むことに決めていました。

    産山村で知り合った方から、もう一度お店をやらないかと話があり、一度やめているので迷っている間にも、補助金の申請などいろいろな人がサポートをしてくれて、あれよあれよという間に、じゃあやるかと、牛小屋はレストランにする流れに。

    地元の大工さんに相談すると、当然いまある牛小屋はつぶして新しく建てるといわれましたが、その牛小屋の雰囲気にほれこんだ私はどうしてもつぶしたくない。建築系の友達に図面を引いてもらったり、知り合いの古民家再生大工さんの協力を得て、自分がやりたいように改装しました。

    われながら面白かったのは、壁の色や素材など好みの内装になるようにこだわっても、客席数やメニューの単価は、緻密に考えても仕方ないと思っていたこと。いままでの生き方では考えられないことでした。震災を経ていつの間にか「計画通りじゃないのもいいものだ」というスタンスになっていたのです。

    移住して気づいた「だれもが暮らしのクリエイター」であること

    それでも、すぐに新しい暮らしになじめたわけではありません。毎日が畑作業では嫌だ! 自分の創作の時間が欲しい!! などと、夫婦げんかも多発。ワインづくりやレストランの運営も大切だけど、自分はクリエイターであるという狭いキャパとの闘いがあったのだと、いまなら思います。

    画像1: 移住して気づいた「だれもが暮らしのクリエイター」であること

    そのうちに、日々、野菜やハーブ、ぶどうを育て、野草の知識を学び、ハーブや野草でお茶をつくること、パッケージを考えたり、庭や畑に咲く野花でお店をデコレーションすること、そんなすべてのことがクリエイティブに思えていきました。

    机に向かってアクセサリーをつくったり、洋服をデザインする人だけがクリエイターではない。むしろ、あの漬物名人のおばあちゃんも、あの自費出版で本を出すのが趣味のおじいちゃんも、あそこの野菜づくりが上手なおばさんも、きれいに草刈りをするおじさんも、みんなクリエイターだと思うように。

    いままで「仕事」とは、依頼と対価があり、制作スパンも短く、どれだけ相手に合わせるかで動くことでした。

    産山村での「仕事」は、一年に1回の収穫とか、冬のために春から薪割りとか、時間軸がまるで違う。やらなければいけないことだけれど、これをしたからといって、お金が入るわけではない。生きるためにする仕事はこんなにあるんだと、お金に対する考え方も変わりました。

    いまの暮らしは、自分で計画したわけではありません。だからこそ、葛藤があったのかもしれません。考えてもしかたがないと思わせられた日から、その場その場で、自分が面白いと思うほうに流れてみたら、いまここにいる、という感覚です。


    画像2: 移住して気づいた「だれもが暮らしのクリエイター」であること

    折居多恵(おりい・たえ)
    雑貨クリエーター。大手オモチャメーカーのデザイナーを経て、東京・代官山にて週末だけ開くセレクトショップ開業。夫(フレンチシェフ)のレストラン起業を機に熊本市へ移住し、2016年秋に熊本県産山村の限界集落へ移り住み、農業と週末レストラン「asoうぶやまキュッフェ」を営んでいる。
    https://www.ubuyamakuche.com/
    インスタグラム@kuche_ubu



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