• 熊本県・阿蘇の山奥へ夫婦で移住して10年になる折居多恵さん。平日は畑仕事、週末は小さなレストランを営んでいます。街で暮らしていたころと意識が変わったことのひとつに、人や地域との関わり方があるそう。とくに大きなきっかけになったのは、阿蘇ならではの「野焼き」経験でした。

    山奥ではライフラインの維持も「地域と協力」が必要だった

    こんにちは。折居多恵です。20代、30代は東京・代官山で古着のセレクトショップをしたり、雑貨クリエイターをしたり。東京生まれの私が、57歳のいま、なぜか阿蘇の山奥で暮らしています。

    慣れない農作業を筆頭に、初めてのことだらけだった日々も、気づけば10年経ちました。

    街で暮らしていたころは、近所づきあいはほとんどありませんでした。すれちがってもあいさつ程度。それがここ里山では、集落の水タンク掃除や水パイプの点検、草刈りなど、生活していくうえで大事なライフラインの維持がひとりでは難しく、協力し合わないとできないことばかり。

    はじめは戸惑うことばかりでした。

    1000年続く「阿蘇の野焼き」の手伝いに参加

    画像: 草原に虹。こちらに移り住んでから虹をよく見ます

    草原に虹。こちらに移り住んでから虹をよく見ます

    地元の方々との共同作業の大切さを強く実感したきっかけがあります。それが、「野焼き」のお手伝いです。

    わが家から車で3分、裏山を上がれば、広大な草原を見わたせる場所に出ます。朝陽や夕陽に染まる様子は、何度見ても『きれいだなぁ』とつぶやいてしまう、ここにしかない壮大な景色です。

    「野焼き」とは、枯草を焼き払うことで害虫を駆除し、牛の餌となる良質な新しい草の芽吹きを促す、草原維持に欠かせない作業。毎年、春の始まりに阿蘇全体の各地区で1000年続いている大事な営みです。

    画像: 野焼き後の草原。野焼きの日は灰まみれになるので洗濯物は外に干せません

    野焼き後の草原。野焼きの日は灰まみれになるので洗濯物は外に干せません

    観光では何度か、野焼き後の阿蘇の山々や草原を見に来たことはありました。見わたす限り真っ黒な大地が広がり、この世のものではない感じの景色です。

    秋のいまごろの時季は、野焼きの下準備として「輪地焼(わちやき)」が行われます。簡単にいうと、野焼きで燃やしてはいけない森林などとの境目の草を刈って燃やす作業。

    今年も遠くにたなびく『輪地焼』の煙を見ながら、この地に移ってきてすぐの“春の野焼き”を思い出しました。

    「死ぬばい!」炎に囲まれ立ちすくんだ日

    阿蘇に移り住んですぐに、「野焼き」が地域の共同作業で行われていることを知りました。借りていた農地があった敷地の組合から、実行部隊へ参加の声がかかったのです。

    野焼きは、ちょっとした風向きの変化や風の強さにも非常に影響される作業のため、消防団や各地区のベテランの方々とチームを組み、慎重に慎重に計画を立てて行われます。なので、なにもかも初めての私たち夫婦も、あまり心配せずに参加しました。天気と共に風速も毎日チェック。もちろん事前に服装や当日の注意点なども教えてもらいます。

    画像: 背の高い枯れたカヤがある場所はとくに炎が高く上がる

    背の高い枯れたカヤがある場所はとくに炎が高く上がる

    野焼き当日、ベテランの方々に指導を受け、私は残り火をチェックしていく火消し部隊に加わりました。作業を進めるなか、ついつい地面を見ながら夢中で進んでいくうちに、突然の風向きの変化に気がつかず、前も後ろも右も左も突然、炎に囲まれてしまいました。

    バチバチとものすごい炎の音にだれかが叫んでいる声(たぶん私を呼んでいる)もよく聞こえず呆然と立ちすくんでいると、地元の方が「死ぬばい!」と炎のなかを助けに来てくれました。

    すぐには何が起こったのかもよく理解していませんでしたが、『あぁ、私、死にかけたんだ…』と、しばらくしてから怖くなりました。

    その後の休憩時間でも、「危なかったなぁ。無事でよかったね」と方々から声をかけてもらい、改めて助けてくれた方にお礼を述べました。

    火つけチームだった夫と合流し、火つけも大変な作業だったと聞き、お互いに野焼きデビューが無事に済んでよかったねと話しました。

    人づきあいは面倒だった私が、地域の活動に参加するように

    画像: いつものおだやかな草原

    いつものおだやかな草原

    初めて野焼きに参加したことで、この草原の雄大な景色は、地元の方々が毎年、繰り返している大変な作業があってのことなのだな、いま満喫しているこの暮らしは、だれかとだれかが協力してつくり上げてくれているものなのだな、としみじみ思いました。

    野焼きは年に1回の一大イベントですが、集落の水タンク掃除や水パイプの点検、草刈りは定期的に行います。少しずつ余裕ができてくると、自分にできる範囲で、さまざまな活動に参加したいと、気持ちが変化していきました。

    改めて見ると、映画館のない集落で映画上映などを行うNPO活動や、村の特産品を考える会など、地域の人たちが協力して行う活動は、ライフラインの維持以外にもたくさんあります。

    街で暮らしていたころには、ただ同じ地域に住んでいるという理由だけで他人とつき合うのは面倒だな、としか考えられませんでした。

    いま、こうして自然と「生きるための共同作業」をする自分になったのも、便利ではない環境に住んでいるからこその変化だなぁと思っています。

    * * *

    ▼57歳・折居さんの「山奥へ移住して変化したこと」そのほかの記事はこちら


    画像: 人づきあいは面倒だった私が、地域の活動に参加するように

    折居多恵(おりい・たえ)
    雑貨クリエーター。大手オモチャメーカーのデザイナーを経て、東京・代官山にて週末だけ開くセレクトショップ開業。夫(フレンチシェフ)のレストラン起業を機に熊本市へ移住し、2016年秋に熊本県産山村の限界集落へ移り住み、農業と週末レストラン「asoうぶやまキュッフェ」を営んでいる。
    https://www.ubuyamakuche.com/
    インスタグラム@kuche_ubu



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