(『天然生活』2018年5月号掲載)
書簡用の巻紙から生まれた、個性豊かな便箋
東京・日本橋のオフィスビルが集まる一角。
ひときわ目をひくモダンなレンガ造りの店先で、「はいばら」ののれんがたなびきます。
店の正面に飾られたのは、大きな越前和紙のタペストリー。レターセットや千代紙、金封などのオリジナルアイテムは、木版の彫り師や摺り師、水引工といった職人の手仕事が随所に光り、買い物ごころをくすぐります。
はいばらがこの地で創業したのは、文化3年(1806年)のこと。紙や墨などを扱う書き物商として始まりました。
そののち、雁皮植物を原料にした高品質な雁皮紙が、「文字をきれいに書ける」と粋好みの江戸の人々にもてはやされて評判に。
以来、美濃や越前、土佐や出雲の良質な和紙を素材に、色彩豊かな木版手摺りの千代紙やうちわなど、生活に寄り添う紙製品を200年以上にわたってつくりつづけてきました。
なかでも、長年、ひいきにする人が絶えないのは便箋です。
罫線だけの「便箋」は罫の色や本数を変えて約20種類展開し、木版でふちだけに色をつけた「色ふち便箋」、四季の花姿を手摺りした「ちらし便箋」、永井荷風が日記『断腸亭日乗』を清書するのに愛用した罫紙を元にした「日乗箋」など、多彩にそろえます。
はいばらの便箋を愛してやまない文筆家の平野恵理子さんは、魅力をこう語ります。「どの製品もていねいに愛情を込めてつくられているから、一本通った気品があるんです。どなたにお便りをするにも自信がもてるので、とても助けられています」
『断腸亭日乗』を愛読していた平野さんは、特に日乗箋の大ファン。
「荷風翁と同じ箋だと思うと、書くたびにうれしい気持ちに。万年筆で書きやすく、触り心地もなめらか。薄手だから重ねても重くならない。いいところばかりです」
そんなはいばらの便箋の歴史は、創業時から扱っていた巻紙にさかのぼります。
「昔は巻紙が書簡用に使われていて、当社ではシンプルな和紙の巻紙以外にも、吉田茂首相の提案から生まれた五色の和紙をつなぎ合わせた五雲箋や、木版摺りで柄を施した絵半切れという巻紙もつくっていました。それらの巻紙や江戸末期から扱っていた罫紙を、郵政制度に合わせてサイズを整えたのが便箋の始まりです」(広報・中村さん)
相手を想う気持ち、季節がめぐる喜びを便箋に託して
巻紙から発展した、はいばらの便箋。縦長で蛇腹状になった「蛇腹便箋」は、巻紙そのものから着想を得た、ユニークな商品です。
折り目ごとにミシン目が入り、手紙の長さに応じて便箋を切り取って使える機能性もさることながら、かつて販売していた絵半切れと同様に、文様が施されているのも人気のゆえんです。
「文様には、それぞれに意味が込められています」と中村さん。
たとえば、色刷毛引きの淡い色帯は穏やかな平和の日々がどこまでも続いていくことを意味し、跳びうさぎは進歩や発展を表す吉祥柄、千代見草は実りの秋やおめでたいことの前触れとして古くから親しまれ、勿忘草は友愛と誠実を象徴する意匠なのだそう。
「自分の言葉とともに、相手を想う気持ちを文様にも忍ばせる。身近な風景や草木を慈しみ、そこに明るい意味を見いだす。そうした日本人ならではの心配りや感性を、商品を通じて伝えていくことが私たちの願いなのです」
幸せが広がる暮らしのなかの芸術品を
文様や図案は、すべてオリジナル。
幕末から明治期に活躍した柴田是真や河鍋暁斎ら一流の絵師たちが原画を描いた、いわば美術品です。時代時代の流行に関心を寄せ、絵師たちとともに四季折々の意匠を生み出してきました。
「文明開化期を生きた三代目の直次郎が芸術に造詣が深く、多くの作家を起用しました。そのなかでも竹久夢二はヨーロッパ留学の資金をはいばらが援助するなど懇意にし、信頼関係が厚かった。夢二は美人画で有名ですが、直次郎の注文で植物や小動物を描いたデザインを多く手がけ、その柄は、いまでもとても人気があります」
風趣あふれるデザインを和紙に写すのは、木版の彫り師と摺り師の仕事。
彫り師が図案を元に版木を彫り上げ、摺り師がその版木に色をのせて一枚ずつ和紙に摺るのです。多色摺りなら複数の版木を使って繊細に色彩を重ねて図案を浮かび上がらせます。
木版摺りの便箋は、いまもこの手法で東京・下町の職人が分業でつくり、その技術は若手にも継承されているといいます。
ちらし便箋や、上澄みの墨で植物を淡く摺り上げた月影摺便箋は、書くのをためらうほどの美しさです。
絵師たちとつくり上げた伝統の図案を守り、職人の手仕事を大切にする、はいばらのものづくり。その根底には、「生活と芸術をつなぐ」という創業以来の想いがあります。
紙が暮らしに身近なものだからこそ消耗品であってはならないと、質もデザインも磨き上げ、心を華やがせる〝本物〞を追求してきたのです。
「手紙関連の製品はとくに、自分が使うだけでなく、人から人へ想いや季節感を届けるものです。だれかを想う気持ちに寄り添うような、送る人も送られた人も、うれしくなるような、そんな便箋や絵はがきをつくりつづけたいですね」
ものづくりも、使う人に寄り添って
はいばらの元には、商品に対する感想や要望から、店のディスプレイにまで、さまざまな声が寄せられるといいます。そのひとつひとつが、品質の保持や商品づくりに生かされます。
聞けば、日乗箋は永井荷風が愛用していた「十行罫紙」の復刻を望むファンの声から生まれ、蛇腹便箋の横書きタイプもリクエストにこたえた新商品だそう。
製品を愛する人に見守られながら、はいばらが伝える紙文化は後世に刻まれていきます。
久しぶりの友人には友情を象徴する千鳥の蛇腹便箋を、お世話になった人にはちらし便箋を、新入学の姪っ子には竹久夢二のレトロな一筆箋を。
相手を想いながら便箋を選ぶのは、心弾む楽しいひと時です。
丹精込めてつくられた便箋が、大切な人へ喜びと幸せを運んでくれます。
<撮影/寺澤太郎 取材・文/熊坂麻美>
※記事中の情報は『天然生活』本誌掲載時のものです。
榛原(はいばら)
文化三年(1806年)に和紙小物販売店として開業。以来200年以上、東京日本橋で和紙や紙製品の販売を行う。竹久夢二や川端玉章など、絵師との交流も深く、その図案を用いた便箋や千代紙なども扱う。
平野恵理子(ひらの・えりこ)
イラストレーター、エッセイスト。1961年、静岡県生まれ、神奈川・横浜育ち。山歩きや旅、暮らしにまつわるイラストやエッセイ、また暦に関する著作も多い。著書に、『草木愛しや 花の折々』(三月書房)、『わたしはドレミ』(亜紀書房)など、多数。現在は山梨・八ヶ岳に愛猫ドレミと暮らす。
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天然生活2月号には、綴じ込み付録「天然生活×はいばらのポチ袋」がついています。
綴じ込み付録ポチ袋のそれぞれの柄に込められた意味についての紹介記事もぜひご覧ください ↓
第1回 「雪一号 六花」「雁五号 尾長鳥に牡丹」 >>
第2回 「亀六号 松竹梅」「鶴三号 小桜」 >>
第3回 「亀七号 牡丹 」「雪十八号 雲立涌」 >>
第4回 「番外松竹梅一号 松竹梅」「雪六号 宝づくし」 >>
第5回 「雪九号 蝶」「雪十六号 山みち」 >>
第6回 「亀二号 桜」「雁八号 瓢箪」 >>