• 幼いころから、興味のあることを「記録する」習慣が身についていた渡辺麻紀さん。食にまつわる記憶のベースも、膨大な数のノートによって育まれたようです。
    (『天然生活』2018年3月号掲載)

    思い出の家庭料理「とりと栗のうま煮」

    「この料理が、晩ごはんのおかずに出た日を覚えています。びっくりするほどおいしくて、『私も、こういう料理をつくれるようになりたい』と強く思い、母に、レシピを教えてほしいと頼んだのです」

    渡辺麻紀さんのお母さまもまた料理教室を主宰する人ですが、その料理「とりと栗のうま煮」は、冷蔵庫にあった素材で、お母さまがさっと即興でつくったもの。

    前のめり気味な娘の熱意に驚きつつも、「このくらいかしらね」と分量を出して教えてくれました。

    渡辺さんは、それを大切にノートに記し、その後も試験の前日など「がんばらなきゃいけない日」に何度かつくってもらったりして、渡辺さんの思い出の家庭料理になりました。

    画像: 手元に残る料理にまつわるノート。気軽にコピーやスキャンができなかった子ども時代、ノートに記すことがレシピを保存する手段だった

    手元に残る料理にまつわるノート。気軽にコピーやスキャンができなかった子ども時代、ノートに記すことがレシピを保存する手段だった

    ちなみに、この「とりと栗のうま煮」のレシピは、上の写真右のノート「和食&洋食レシピ帖」の1ページ目に、写真付きで記されています。

    「いまでも、この日のこと、このときの気持ちを、ふとした瞬間に思い出すことがあるんです」

    料理上手のお祖母さまやお母さまの姿を見て育ち、小学生ですでに料理教室通いをしていた渡辺さん。

    当然、自分も料理の仕事をすると思いつづけていたけれど、その夢がぐっと色濃く鮮明になったのは、もしかして、その瞬間からだったのかもしれません。

    画像: レシピノートに記された「とりと栗のうま煮」をつくる渡辺さん。「以前は、しょうゆと砂糖が強めでしたが、いまの自分がおいしく感じる加減にアレンジしました」

    レシピノートに記された「とりと栗のうま煮」をつくる渡辺さん。「以前は、しょうゆと砂糖が強めでしたが、いまの自分がおいしく感じる加減にアレンジしました」

    子どものころは内気で頑固、運動は苦手だし社交性もゼロだった、と苦笑しながら振り返ります。

    いまの楽しくほがらかなお人柄を知っていると意外に感じられますが、それを心配したお母さまの勧めで、当時、お寺で行われていた作文教室に通うようになりました。

    以来、文章でも、ちょっとしたメモでも、ノートに記すことが苦ではなくなり、結果として、家には食べ物にまつわるノートが何十冊と積み上がることになりました。

    祖母からの教え

    その1 野菜は一度で使いきらないこと

    おひたし用の青菜も少し残しておけば、翌日のうどんに青みを添えられる。ひとつの野菜をいろんな料理に使いまわす工夫を忘れずに

    その2 塩けは大切に使い、捨てないこと

    塩は命の源で、貴重品だった。梅干しの種は煮魚に活用したり、刺し身用しょうゆも捨てずに別の料理に使ったりと、最後まで生かすように

    その3 日々の料理で季節を楽しむ

    春先なら木の芽、冬なら柚子皮。香りもので季節感を取り入れると、少量でも食卓が豊かになり、旬を感じながら暮らすことができる

    その4 米は最後のひと粒まで大切に

    米は日々の食のすべての基本。とぐときに米粒が落ちたら必ず拾って、食事のときも、最後のひと粒まで残さず大切にいただく

    その5 起毛したタオルを一枚常備

    豆腐の水切りや葉ものの水けをきるサラダスピナー代わりに、水分をよく吸ってくれるタオルを一枚、台所に置いておくと、なにかと便利

    画像: 京都出身で、おばんざい文化になじんだお母さまがよく使っていた染め付けの大鉢

    京都出身で、おばんざい文化になじんだお母さまがよく使っていた染め付けの大鉢

    イタリア・トスカーナで学んだ「留学時代の授業ノート」

    渡辺さんがイタリア・シエナに料理留学をしたのは、29歳のとき。それまで夢中になって学んでいたフランス料理の源流を知りたいと思ったのが理由でした。

    フランス料理は、イタリアのメディチ家から王妃を迎えたときに輸入された食文化がベースになっているといわれています。

    画像: トスカーナの郷土料理「リボリータ」(豆・パン・野菜の煮込み)や、当時まだ日本でほとんど知られていなかったスペルト小麦を使ったサラダのレシピが記されている

    トスカーナの郷土料理「リボリータ」(豆・パン・野菜の煮込み)や、当時まだ日本でほとんど知られていなかったスペルト小麦を使ったサラダのレシピが記されている

    フランスのシェフたちは「料理はアート」であるという意識が強く、美しくあること、洗練されていることを重んじていましたが、対するイタリアのシェフたちは、よくも悪くも、とてもおおらかにみえたとか。

    素材の分量も「だいたいこのくらい」とアバウトで、「しまった、ハーブを用意しておくのを忘れたよ」と、料理中に庭へ摘みにいくようなゆるやかさ。

    そして、星付きのすごく立派なリストランテのシェフなのに、その口から「このつくり方はノンナ(祖母)から教わったんだよ」「これはマンマから教わったことなんだ」といった言葉が何度となく発せられることに気がつきます。

    イタリア料理のベースには常に家庭料理があることを実感し、それらのレシピを必死でノートに書き留めていきました。

    煮込み料理「トスカーナ風 ぶたと白いんげん豆の煮込み」はそのひとつで、渡辺さんが「なんておいしいんだろう」と感激した一品。

    材料を準備したら、あとはオーブンに入れっぱなしで、その間に別の家事を行うという、家庭の知恵が生かされています。

    「若いころは私も肩肘を張っていたと思うので、研ぎ澄まされたフランス料理にひきつけられていました。けれど不思議と年を重ねるにつれて、イタリアの家庭料理のような自然体でおっとりした感じを、しみじみと『いいな』と感じられるようになってきました」

    画像: 留学時代に何度も読んだ、450ページにも及ぶフランス家庭料理についての本

    留学時代に何度も読んだ、450ページにも及ぶフランス家庭料理についての本

    たくさんのノートが残っている渡辺さんですが、意外にも、あとから見返すことは、そんなに多くはなかったそうです。

    「見返す未来の自分よりも、いまここで『書きたい』と思う自分の意欲のほうが、実は大事だった気がしています。そのとき見聞きしたものが、ノートに書くことによって、自分のなかに刻み込まれていく。その繰り返しが、いまの自分をつくってきたように思います」

    画像: 食べた料理や、行った店も、「おいしいもの日記」に 外食や旅先で印象に残った料理の盛りつけや素材、味などを、イラスト入りで詳細に記録。それ以外にも、行きたいお店、印象に残った言葉、足を運んだ展覧会の感想など、20代の渡辺さんが意欲的に吸収してきたものたちが書き留められている

    食べた料理や、行った店も、「おいしいもの日記」に
    外食や旅先で印象に残った料理の盛りつけや素材、味などを、イラスト入りで詳細に記録。それ以外にも、行きたいお店、印象に残った言葉、足を運んだ展覧会の感想など、20代の渡辺さんが意欲的に吸収してきたものたちが書き留められている

    そしてもう一冊、目に見えないノートが自分のなかにある、と渡辺さんは感じているそうです。

    「祖母と母から教わった一番のことは、『家庭料理は続いていく』ということでした。昨日、余った大根を今日のお味噌汁に活用するというふうに、食材が重なり合って、つながって続いていく。レシピにはならないようなそれらの知恵は、私のなかにしっかりと生きていて、ふとした瞬間に、ノートのページをめくるように、浮かび上がってくるように思えます」

    画像: 10歳の夢が詰まった「お料理&おかしのノート(テキスト)」 小学5年生の渡辺さんが、好きなレシピを書き写し、実際に何度もつくった料理たち。「フレンチトーストは卵液の漬け時間や、こげすぎない焼き加減など、子どもながらに試行錯誤した一品。サワーミルクは実験感覚で楽しんでいたみたいですね」

    10歳の夢が詰まった「お料理&おかしのノート(テキスト)」
    小学5年生の渡辺さんが、好きなレシピを書き写し、実際に何度もつくった料理たち。「フレンチトーストは卵液の漬け時間や、こげすぎない焼き加減など、子どもながらに試行錯誤した一品。サワーミルクは実験感覚で楽しんでいたみたいですね」

    画像: 中高生のころに愛読していたマドモアゼル育子さん、赤堀千恵美さんの、お菓子の本

    中高生のころに愛読していたマドモアゼル育子さん、赤堀千恵美さんの、お菓子の本



    〈撮影/有賀 傑 取材・文/田中のり子〉

    渡辺麻紀(わたなべ・まき)
    大学在学中からフランス料理家・上野万梨子氏のアシスタントを務め、「ル・コルドン・ブルー」東京校勤務、フランス、イタリアへの料理留学などを経て、独立。料理教室「レスパスマキエット」主宰。

    ※ 記事中の情報は『天然生活』本誌掲載時のものです



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