• 歳を重ねても、チャレンジ精神を忘れずに。専業主婦から、47歳でコネチカット州立大学へ入学し、52歳で「松之助」をオープンした、平野顕子さんにお話を伺いました。
    (『天然生活』2022年11月号掲載)

    タイトルの写真:撮影/Ben Hon @StuffBenEats 出典/『「松之助」オーナー・平野顕子のやってみはったら! 60歳からのサードライフ』(平野顕子著 主婦と生活社)

    自分の心が感じるままに、覚悟を決めてやってみる

    ※記事中の情報は『天然生活』本誌掲載時のものです

    京都と東京でパイとケーキの店「松之助」を営む平野顕子さんは、45歳まで専業主婦でした。子どもふたりが大学生になったのを機に離婚。将来について悩んでいるときにふと思い出したのが、かつての親友のことでした。

    「幼稚園のころの親友がロビンちゃんというアメリカ人で、アメリカに憧れがあり、しだいに留学にチャレンジしたいという思いがふくらんでいきました」

    留学資金にはずっと貯めてきたへそくりをあてました。「いまから振り返ればよく決心したなと思う」そうですが、身に付くことにお金を使えば糧になるから、大事なことだった、とも。

    半年間、都内の語学学校で大学入学に必要な英語を学び、最初に合格通知が届いたコネチカット州立大学に入学しました。

    「とにかく無我夢中で勉強しましたが、英語を使う仕事がしたいと思っていたのに、語学力に限界を感じてしまって。親しくなった教授に悩みを打ち明けたところ、ニューイングランド地方の伝統デザートを習ってみては、と」

    アメリカのケーキは甘すぎるイメージがありましたが、教授がつくってくれたポピーシードのシフォンケーキは平野さんの口に合いました。ロビンちゃんの家で食べた大きなケーキのことも思い出し、ピンとくるものがあったそう。

    「後先考えず、やってみようと思ったんです。45歳まで与えられた環境の中で生きてきましたが、これから先は自分の心に忠実に生きようと。9カ月にわたって何人かの先生に習い、3人目でシャロル先生と出会いました。彼女のつくるレシピはキャロットケーキもニューヨークチーズケーキもどれも最高においしくて、これは日本人も好きに違いないと確信しました」

    画像: 2010年にオープンしたのち、2年で撤退したニューヨーク店近くのカフェにて。跡地にはベーカリーが入っていた。「ちょっと胸が痛むけれど、なつかしい場所です」 撮影/Ben Hon @StuffBenEats 出典/『「松之助」オーナー・平野顕子のやってみはったら! 60歳からのサードライフ』(平野顕子著 主婦と生活社)

    2010年にオープンしたのち、2年で撤退したニューヨーク店近くのカフェにて。跡地にはベーカリーが入っていた。「ちょっと胸が痛むけれど、なつかしい場所です」
    撮影/Ben Hon @StuffBenEats 出典/『「松之助」オーナー・平野顕子のやってみはったら! 60歳からのサードライフ』(平野顕子著 主婦と生活社)

    覚悟を決めて選んだ道は、案外正しいと信じて進む

    2年間の留学を終えて帰国。貯金も尽きたため京都の実家に帰り、自宅の台所でケーキ教室をスタートします。このときは開拓時代のアメリカのコスチュームを着て、生徒を招いたのだとか。

    画像: 自宅のキッチンでパイをつくる平野さん

    自宅のキッチンでパイをつくる平野さん

    「特徴を出そうとしたこの工夫が、京都新聞の記者さんの目に留まりました。紹介記事が掲載され、それまで2人だった生徒さんが、10人、20人と増えていきました」

    半年ほどたったころ、生徒から「カフェをやったらどうですか?」と提案が。たまたまいい物件が見つかったことも後押しとなり、心に感じたまま行動しました。2000年、京都に「松之助」を開店。その後、2004年には東京の店もオープン。

    「蔦屋書店ができる前の代官山ですから、いまより閑散としていました。賃料が高くて身の丈に合わないと思いましたが、ガラスに囲まれた店の感じがすごくよかったんです。このときも自分自身の感覚を信じようと思いました。計画性がないんですが、人生は計画通りに行くとも限りませんから(笑)」

    赤字続きで何カ月かたったころ、テレビで取り上げられる機会に恵まれ、行列ができる店に。材料のバランス、混ぜ方、焼く温度とすべてに目を配り、最高と信じるケーキを地道につくってきたことが、実を結んだのでした。

    ニューヨークに出店したものの2年で撤退するなど、かなわなかった夢もあったという平野さん。ひとつ扉が閉まったら新しい扉が開き、ニューヨークで知り合った男性と65歳で再婚し、新しい生活を楽しんでいます。

    画像: カリフォルニア州のマンモスレイクにて夫のイーゴさんと。夫のすすめもあって、60歳からスキーと釣りを始めた。「魚によって食いつき方が違うので、一瞬で何が釣れたかわかりますよ」

    カリフォルニア州のマンモスレイクにて夫のイーゴさんと。夫のすすめもあって、60歳からスキーと釣りを始めた。「魚によって食いつき方が違うので、一瞬で何が釣れたかわかりますよ」

    「後悔のない人生なんてないし、転んでも起きるためには、健康第一」とほがらかに笑う平野さんに、夢をかなえる秘訣を聞きました。

    「勇気がありますね、とよくいわれますが、勇気なんてそう簡単に出せません。私にあったのは覚悟です。この道以外にないという覚悟で一歩を踏み出しました。そして決心したらクヨクヨ考えず、自分の選択は案外正しいと信じて進んでいくことだと思います」

    人生の転機

    45歳から人生が激変した平野さん。人との出会いが、その先の道を明るく照らしてくれました。

    47歳で単身アメリカ留学

    画像: 47歳で単身アメリカ留学

    47歳でのアメリカ留学について、息子さんからは「やめなさい、僕に投資したら?」。一方、娘さんからは「卒業できたら快挙、行ってらっしゃい」と後押しされたそう。「お菓子づくりをすすめてくれた教授やシャロル先生など、アメリカに留学したおかげで、偶然の出会いに恵まれました」

    52歳で「松之助」をオープン

    画像: 52歳で「松之助」をオープン

    オープン時には、シャロル先生(左からふたり目)も京都に駆けつけた。「ありがたいですよね。一番左側のスタッフはいまも働いてくれています。スタッフのおかげで、ここまでこられました。長く働いてくれているスタッフが何人もいるので、いつか十分にお返しできたらいいなと思っています」

    平野顕子さんの年表

    1993年(45歳)離婚
    1995年(47歳)アメリカ留学
    1998年(50歳)京都でお菓子教室を開校
    2000年(52歳)京都・高倉にお店をオープン
    2004年(56歳)東京・代官山にお店をオープン
    2010年(62歳)ニューヨークにお店をオープン。2年後に閉店
    2013年(65歳)ウクライナ系アメリカ人のイーゴさんと再婚
    2022年(74歳)現在、東京とニューヨークの二拠点生活

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    〈写真提供/平野顕子さん 取材・文/長谷川未緒〉

    平野顕子(ひらの・あきこ)
    京都の能装束織元「平のや」に生まれる。47歳でアメリカに留学。帰国後、京都に「Café&Pantry松之助」、東京に「MATSUNOSUKE N.Y.」をオープン。著書に『やってみはったら! 60歳からのサードライフ』(主婦と生活社)など。

    ※記事中の情報は『天然生活』本誌掲載時のものです



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