(『居場所は“心ここ”にある』−ニッポン放送 上柳昌彦 あさぼらけ−』より)
「経費削減」のトライアル!?
「上柳さんの番組では、最小人数でどの程度、ラジオの帯番組ができるのか、試しにやっていただきたい」
檜原編成局長は、私にオファーした理由をこう説明した。当時、ラジオ局は経費削減を真剣に考えざるを得ない大変な状況になっていたのだ。このため、ディレクター、ミキサー、私の3人で番組を作ってほしいと条件を提示してきたのだ。
私は、不思議と嫌な気持ちはしなかった。私自身、数多くのワイド番組を担当してきたが、近年はスタッフが多いと感じていた。
ディレクターにサブディレクター、アシスタントディレクター、放送作家さんとサブ放送作家さん、さらにアルバイトさんもいた。時にはもう一人ディレクターがいて、ゲストの方のアテンドを担当するケースもあった。
作家さんは進行台本を細かく書いてくれて、番組に届いたメールも選んで印刷してもらっていた。
さらに、アルバイトさんがお茶を出してくれた。まるで上げ膳据え膳の高級旅館の宿泊客のようで、私ごとき社員パーソナリティにこのような厚遇は、なんだか申し訳ないと感じていた。
放送作家もADもなし。これこそラジオだ!
振り返ってみれば、私がかつて担当した番組は、みんな少人数でやっていた。
『オールナイトニッポン(2部)』(1983~86年))や『HITACHI FAN!FUN! TODAY』(1986~90年)という音楽番組は、台本などあってないようなものだった。番組に届いたハガキ選びをはじめ、しゃべり手として、放送に必要なことは、全部自分でやらざるを得なかった。
檜原局長は、「誰もいません。放送作家もつけられません。アシスタントディレクターもいません。ディレクターも月曜から金曜まで一人だけです」と話す。これを聞いてちょっとワクワクした。
「これこそラジオだ!」と思った。そして、「ディレクターとガッツリ組んでやるしかない!」と肚をくくった。
担当になったのは、入社20年目の石田誠ディレクター(当時)である。
彼とは20年近い関係があったので、番組の土台作りはスムーズに進んだ。まずは石田ディレクターがCUEシート(番組進行表)の案を書いてくれた。
聞けば、1時間半の放送時間のうち、放送内容が決まっているのは、「心のともしび」と提供スポンサーがついていた「海の天気予報」、そして通信販売のコーナー「ラジオリビング」だけだという。
私は「メールをたくさん読みたい。あと、できるだけ曲をかけていきたい」と伝えた。メールを読みたいと思ったのは、早朝の番組にメールを下さる方には、よほどの事情があるのだろうと思ったからだ。
その事情をくみ上げるのがラジオパーソナリティの役目。そして、メールを紹介することで、「今、起きているのは私だけじゃない」と思ってもらえればいいと考えた。
「上柳昌彦あさぼらけ」タイムテーブル(火曜~金曜日)
AM2:20 上柳昌彦アナウンサー、ニッポン放送入り
AM2:45 パソコンの前でメールチェック
AM4:00 朝刊到着、切り抜き作業
AM4:20 ディレクターとの打ち合わせ
AM4:30 全国31局に向けて「あさぼら〜け!」タイトルコール、番組スタート
AM4:40 朝一番のニュース
AM5:00 5時のオープニング
AM5:03 産経新聞ニュース〜スポーツニュース
AM5:15 日替わりコーナー
(月・金)食は生きる力
(火)日替わりコーナー
(水)あけの語りびと
(木)観音温泉るんるんタイム
AM5:35 心のともしび
AM5:45 新聞チョキチョキ
AM5:50 ラジオリビング
AM5:55 ゴリラ祭ーズ「有楽町のうた」が流れ、エンディング
AM6:00 放送終了〜お疲れさまでした!
本記事は『居場所は“心ここ”にある』−ニッポン放送 上柳昌彦 あさぼらけ−』(扶桑社)からの抜粋です
上柳昌彦(うえやなぎ・まさひこ)
1957年8月1日生まれ。立教大学法学部卒業後、1981年ニッポン放送にアナウンサーとして入社。「うえちゃん」の愛称で親しまれ2017年の退社まで様々なワイド番組を担当し、現在は『上柳昌彦 あさぼらけ』ラジオパーソナリティや『笑福亭鶴瓶 日曜日のそれ』パートナーのほかTV・映画・CMナレーション、イベントMCなどで活動中。2023年12月、初の番組本『居場所は“心(ここ)”にある』(扶桑社)を発売。
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毎週月~金曜日、ニッポン放送朝の代名詞となっているラジオ番組『上柳昌彦 あさぼらけ』。“AM4:30”という「深夜のような早朝のような時間」からはじまるこの番組に、年齢性別を問わず多くのリスナーが集まってきています。
パーソナリティの上柳昌彦さん、番組スタッフ、リスナーみんなのこれまでを振り返り、番組の誕生秘話や、日々の放送で生まれた物語などについて語られた初の番組本。2022年に上柳昌彦さんを突然襲った闘病生活から復帰までの想い、今まで語られてこなかった母との別れについても。