(『中島デコのサステナブルライフ』より)
カフェの始まりはなりゆきだった
「将来かわいいカフェ、やってみたい!」「ヴィーガンカフェを開くの、夢です」って人、わりかし多いのだけど、私は一度も思ったことがない。
だって、来るか来ないかわからない人のために、料理を作って待つって大変じゃない?
立地がよければ家賃は高いし、へんぴな場所だと集客が難しい。保健所対応、仕入れ、在庫管理、棚卸し、経理、税金……。いろいろ煩雑なこともついてくる。私の器量じゃ無理~!
じゃ、なんでカフェを始めたの? ってことですよね(笑)。
1999年にいすみ市に引っ越したのは、種を蒔(ま)く生活がしたいって思ったから。
でも最初はなかなかうまくいかず。
その上、うっかり田んぼも始めてしまったからもう大変。
家事、子育て、大工仕事、出張の料理教室、原稿書きetc.もうキャパオーバー。
そのうち、なんだか私のエッセイ本を読んだ人やら、田舎暮らしの取材を受けて載った雑誌を見た人やら、噂を聞きつけた人やらが、ウチに見学に来るようになった。
家事していようが、畑仕事していようがおかまいなし。知らない人が、庭をうろうろして話しかけてくる。うれしいし、私もつい手を止めて話し込む。お茶を出す。
昼近くになって、「これからお昼ごはんを作るのですが、ご一緒にどうですか?」と言うと、誰も断らない(私も逆の立場なら断らない。笑)。
お客さん対応と、作業の日を分けるために
結局、やりたいことは進まない。
そこでひらめいた。お客さんを週末に固めるのはどうかな?
そうすれば、お客さん対応と作業の日を分けることができる。
農機具小屋を小ぎれいにして、「お茶1杯いくら おむすび1個いくら」とか書いておけば、少しは収入になるかも? という、よこしまな考えから、勢いで始まってしまったカフェなわけで。
その頃ウーファー(*)でいた子たちに相談すると、「いいですね。やりましょう! 改築手伝います」「私はメニュー考えて、お料理作ります」と言う。
*ウーファー……WWOOFの体験をする人。WWOOFは食事と宿泊場所を提供するホストと、労働力を提供するウーファーが、お金のやりとりをすることなく交流するシステム。
そこで、ご近所に住むモザイクアート職人さんを巻き込み、教えてもらいながらモザイクを一緒に貼ったり。陶芸家さんも巻き込み、イメージを伝えて食器を作ってもらったり。
遊びついでに、バリ島に家具を買い付けに行ったり、保健所に申請に行ったりして、あれよあれよと2006年、カフェが立ち上がった。
名前はバリ島の棚田が美しくて好きなので、「ライステラスカフェ」。
そこから、15年以上。よく続いているな。
そして、いろんな人たちにお世話になったなぁ。本当にありがとうございます。
本記事は『中島デコのサステナブルライフ』(PARCO出版)からの抜粋です
〈写真/阿部 了〉
中島デコ(なかじま・でこ)
16歳でマクロビオティックに出会い、25歳から本格的に学び始める。1999年、千葉県いすみ市に田畑つき古民家スペース「ブラウンズフィールド」を開き、 世界各国から集まる若者たちとともに、持続可能な自給的生活を目指す。
ブラウンズフィールド内に、田園を望む「ライステラスカフェ」、イベントスペース「サグラダコミンカ」、ナチュラルオーベルジュ「慈慈の邸」を次々とオープンする。
現在、10人前後のスタッフと共同生活し、子どもや孫たちに囲まれ、 サスティナブルスクールや各種イベント、ワークショップの企画運営をしつつ、国内外で、講演会やマクロビオティック料理講師として活躍中。
『中島デコのマクロビオティック パンとおやつ』『中島デコのマクロビオティック ライステラスカフェ』『中島デコのマクロビオティック 玄米・根菜・豆料理』(すべてパルコ出版)ほか、料理本やエッセイ等、著書多数。
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