• ある日突然、目が見えなくなる──。2016年に一夜にして視力を失い、3歳の娘、そして生後3カ月の息子を抱えて、絶望の淵に突き落とされた石井健介さん。しかし、その「見えない世界」は新しい家族のあり方を教えてくれるものでもありました。家族が信頼し合い、支え合う。初のエッセイ本『見えない世界で見えてきたこと』(光文社)を刊行した石井さんに、目が見えなくなってからの家族の軌跡を伺いました。

    ある朝、目が覚めたら、目が見えなくなっていた

    ──石井さんは2016年36歳のときに、突然、視力を失うことになりました。あまりにも突然のことで、ご自身の混乱や絶望は大変なものであったろうと思います

    ある朝、目が覚めたらほとんど見えない状態でした。

    2日前から目が見えづらい症状があり、眼科クリニックへの受診もしたのですが、医師からも疲れ目と診断されて深刻に考えていなかったんです。

    病名は「多発性硬化症」。自己免疫疾患のひとつで中枢神経が炎症を起こす指定難病でした。あとから聞いた話ですが、僕のように一気に視力を失うケースは珍しいようです。その影響で、いまでも視力のほかに、顔の左半分にしびれなどの症状があります。

    画像: 顔の左半分にしびれなどの症状が残っているという石井さん

    顔の左半分にしびれなどの症状が残っているという石井さん

    なんだかよくわからないまま入院して検査や治療を行っていましたが、1カ月半ほどして病名が確定。治癒が難しい病気だと告げられました。僕の場合は、まったく見えないというわけではなくて、ぼんやりと暗闇の中に人影が浮かんでいる感じです。色の判別はできません。

    画像: 最初は抵抗があった白杖。自分や周りの人の安全を確保するためにも、目が見えないことを周囲に知ってもらう必要があると考え、もつことに決めた

    最初は抵抗があった白杖。自分や周りの人の安全を確保するためにも、目が見えないことを周囲に知ってもらう必要があると考え、もつことに決めた

    ──そんな中でいちばんつらかったことは何でしたか

    僕は第一子の娘が生まれるにあたり「100%子育てをしたい」と会社をやめてフリーになったほど、子どもとの時間を大切にしていました。

    妻は看護師なので、妻が夜勤でいないときは娘と2人で過ごすのが当たり前。息子も生まれて、「さあ、これから子ども2人の子育てをもっと楽しむぞ」というタイミングで、失明することになったんです。

    それほど愛おしい存在の子どもたちの顔を再び見ることができない、というのが何より辛かったですね。

    当時は、こんな自分が父親では、妻や子どもたちに迷惑をかけるだけだ、離婚したほうが家族のためだと思い詰めるほどでした。

    ※ 後編では、失明によるつらい時期を乗り越えてきた石井さんの、人生を前向きに生きるための秘訣や楽しみ方をお届けします。近日公開予定。

    〈撮影/星 亘 取材・文/工藤千秋 撮影協力/BAR MEIJIU〉



    石井健介(いしい・けんすけ)
    ブラインドコミュニケーター

    1979年生まれ。アパレルやインテリア業界を経てフリーランスの営業・PRとして活動。2016年の4月、一夜にして視力を失うも、軽やかにしなやかに社会復帰。ダイアログ・イン・ザ・ダークでの勤務を経て、2021年からブラインドコミュニケーターとしての活動をスタート。さまざまな領域で活躍している。
    X:@madhatter_ken

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    見えない世界で見えてきたこと

    『見えない世界で見えてきたこと 』|石井健介(著)

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    あの日の朝、僕は目が覚めたら目が見えなくなっていた。
    36歳にして視力を失った著者による、まるで小説のような自伝エッセイ

    視力を失った僕は今、青く澄んだ闇の中に生きている。見えていたころには見えなかった、目には見えない大切なものが見えてきた。声を出して泣ききることも、人に頼って助けを求めることも、難しいことではなかったんだ。僕は生きることがずっと楽になった。



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