• 多くの犠牲者が出た戦争から、今年でちょうど80年。当時のことを聞くことができる機会も少なくなってきました。でも、だからこそ私たちは戦争の記憶を風化させず、受け継いでいく思いを新たにする必要があるのではないでしょうか。エッセイスト、絵本作家、作家の海老名香葉子さんが、辛い過去を掘り起こし、戦争で受けた苦しみや悲しみについて語ってくださいました。
    (『天然生活』2025年9月号掲載)

    家族を失った悲しみを忘れたことはありません

    エッセイスト、絵本作家、作家 海老名香葉子さん

    画像: 落語家の妻として、長年一門を支えてきた海老名香葉子さん。同時に、平和の尊さを訴える文筆活動や講演会も精力的に行ってきた

    落語家の妻として、長年一門を支えてきた海老名香葉子さん。同時に、平和の尊さを訴える文筆活動や講演会も精力的に行ってきた

    生まれたのは本所区竪川(たてかわ・現在の東京都墨田区)です。父は釣り竿をつくる竿師で、名竿と呼ばれるようなよい品をつくっていたので、お客さまが絶えず家に来ていました。

    私は5人きょうだいの4番目で、唯一の女の子。生まれてくる前は、初めての女の子ということでみんな期待していたそうですが、髪の毛がチョロチョロとしか生えておらず、鼻が低い私を見て「なんて器量の悪い子なんだろう」とがっかりしたそうです。

    それでも、しばらくたつと頬っぺたにえくぼができ、「かわいい顔」といわれ、それ以来ずっと「かわいい子ね、かわいい子ね」といわれて育ちました。家族はいつもにぎやかで、ケンカひとつしたことがありません。

    家の中で一番えらい人はおばあちゃん。物腰が柔らかく、毎日私の髪をとかしてくれました。母は口数は少ないものの働き者で、いつも笑顔を絶やさないやさしい人。食事のとき、ちゃぶ台でみんなが「おかわり!」とお茶碗を差し出すと、うれしそうにしていました。ほうれんそうの赤い茎のところを「ポパイになるから食べなさい」と口に入れられたのも覚えています。

    画像: 7歳の時の海老名さん。七五三のときに撮った写真。「きれいな着物を着せてもらって、亀戸天神にお参りしました。近所の人も祝ってくれました」

    7歳の時の海老名さん。七五三のときに撮った写真。「きれいな着物を着せてもらって、亀戸天神にお参りしました。近所の人も祝ってくれました」

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    天然生活2025年9月号では、海老名香葉子さんと多良美智子さんの貴重な戦争のお話を特集しています。

    戦争を忘れず、平和への祈りを紡ぐために、ぜひ誌面でもじっくりお読みください。



    〈取材・文/嶌 陽子〉

    画像: 戦後は東京に戻り、ひとり転々とする日々

    海老名香葉子(えびな・かよこ)
    1933年東京生まれ。エッセイスト 、絵本作家、作家。52年、初代・林家三平と結婚。80年三平の死後、一門の30名の弟子を支える。長男は9代目・林家正蔵、次男は2代目・林家三平、長女は海老名美どり、次女は泰葉。現在も講演会や文筆業など幅広く活躍。『うしろの正面だあれ』(金の星社)『人生起き上がりこぼし』(海竜社)など著書多数。

    ※ 記事中の情報は『天然生活』本誌掲載時のものです



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