• 26歳で、日本人初の国際バレエコンクールで金メダルを受賞。以来、世界を舞台に、屈指のプリマ・バレリーナとして活躍。いまなお観客を魅了しつづける、森下さんの創造の原点を伺います。『天然生活web』に掲載された記事の中から、8月におすすめの記事を紹介します。
    (『天然生活』2016年9月号掲載、『天然生活web初出2020年8月6日』)

    平和を願い、踊りつづけて

    ※ 記事中の情報は『天然生活』本誌掲載時のものです

    絶対に忘れてはいけないこと、伝えるべきこと

    「きみは何のために踊っているの?」

    松山バレエ団は、創立者の清水正夫さんと松山樹子さんが、虐げられた農民が未来を切りひらいていく話に感銘を受け、中国の古い民話「白毛女(はくもうじょ)」を、1955年、世界で初めてバレエ化しました。

    「まだ日中の国交正常化前に、この作品を持って訪中しました。裏では大変な苦労があったと思います。以来、17回にわたる訪中公演を行っており、私自身の転機となる作品のひとつとなっています」

    まだ結婚前のこと。初めて一緒に踊った清水哲太郎さんが、ぼそっとつぶやきました。

    「きみは何のために踊っているの?」

    森下さんは答えに詰まりました。

    「それまで、ただただ好きで楽しく踊ってきましたが、“好きだから” というのは何か違うな、と思ったのです」

    自分がバレエを続ける意味とは何だろう。

    「私は広島の出身です。世界のどこに行っても、ヒロシマの名を知らない人はいませんでした。そんな自分に与えられた使命は、平和の象徴として、生きる歓びをバレエで表現すること。平和への祈りと、人々に勇気や希望を届け、魂の奥底にある、温かなものを伝えることではないかと。そして、広島で祖母が体験したことは絶対に忘れてはいけないし、次世代に伝えていかねば、と思っています」

    「祖母、両親、清水、マーゴやヌレエフ、たくさんのめぐり合った人たち。つくづく、私には人生を教えてくれるすごい教師がたくさんいて、幸せ者ですね」

    互いを思いやる心、愛する心、ロマンを求める心は、文化や芸術によって成長します。

    「だから文化は、とても大切なのです」

    どんなに広いホールでも森下さんの笑顔は3階席の後ろまで届く、とバレエファンの間では語り継がれています。その笑顔の強さは、技術や経験による表層的なものではなく、心の奥底から平和への祈りや、生命の喜び、ロマンを届けたいという強い気持ちから生まれています。

    だからこそ、だれの目にもまぶしく美しく映り、喝采が鳴りやまないのでしょう。



    〈撮影/本間 寛 取材・文/大平一枝〉

    森下洋子(もりした・ようこ)
    1948年、広島市生まれ。3歳からバレエを始め、日本人初の国際的なプリマ・バレリーナに。舞台芸術で最も権威のある英国ローレンス・オリヴィエ賞を日本人で初受賞。夫は舞踊家、演出・振付家の清水哲太郎。祖母、母ともに被爆者であり平和への希求は強い。

    大平一枝(おおだいら・かずえ)/取材・文
    文筆家。大量生産、大量消費の社会からこぼれ落ちるもの・失われつつあること、価値観をテーマに各誌紙に執筆。著書に『東京の台所』『男と女の台所』『もう、ビニール傘は買わない。』(平凡社)、『届かなかった手紙』(角川書店)、『あの人の宝物』(誠文堂新光社)、『昭和式もめない会話帖』(中央公論新社)、『新米母は各駅停車でだんだん本物の母になっていく』(大和書房)、『そこに定食屋があるかぎり』(扶桑社) 、『ふたたび歩き出すとき 東京の台所』(毎日新聞出版)など。『東京の台所2』(朝日新聞デジタル「&w」)連載中。
    HP:「暮らしの柄」
    https://kurashi-no-gara.com
    X:@kazueoodaira
    https://x.com/kazueoodaira
    インスタグラム:@oodaira1027
    https://www.instagram.com/oodaira1027

    ※ 記事中の情報は『天然生活』本誌掲載時のものです



    This article is a sponsored article by
    ''.