(『天然生活』2024年2月号掲載)
母から受け継いだ暮らしの知恵
「十本の指は黄金の山だよ」この指さえ動かしていれば食べることに困らない。
つくづく母の言葉は本当だったなあ。
ミサオさんが日中過ごすのは、笹餅をつくっていた作業場です。

レンジは使わず、蒸し鍋で調理する
道具や食器の類は多くを持たず、使ったらいつも定位置に収めます。

流し台下に収納される鍋。手前はレトロなふた付き四角いフライパン
また、手縫いの布巾は手で洗い、煮沸してから乾かし、蒸し器や鍋の類は50年以上使いつづけているものも。

手縫いでつくった布巾。ていねいに手洗いをしたあと、煮沸消毒をして乾かしたもの
「孫が新しい鍋を買ってきてくれたりするけど、私には必要ないのよ。家族が出したごみの中から鍋のふたを見つけてきてゴシゴシ洗って使ってる。フライパンで調理するときに重宝するんだよ。弱火でゆっくり火を入れれば、素材の水分で蒸されるから味がよくなる。料理ってそのちょっとのところで、おいしく感じる場合とそうでない場合があるの」
いろいろな趣味があるミサオさん。家の周りに花を植えたり、俳句を詠んだり、編み物や針仕事なども。
「わずかな時間に、ちょこっとやるだけでも気分が変わるから」

この日着ていたニットはむかし編んだもの。
ふたりの子どもを学校に通わせるため、セーターの注文を次々と受けては毎晩寝ずに編んで仕上げたというほどの腕をもち、子どもが着られなくなったり、古くなったセーターはほどいて現代風に編みなおし、着物や浴衣も洋服やバッグにリメイク。
物を粗末にすることはないといいます。
「針仕事が得意だった母を見て育ったから。貧乏だったけど『ミサオ、10本の指は黄金の山だよ。この指さえ動かしていれば、食べることに困ることはないから、つくれるものは何でも覚えておきなさい。やればいいんだ』と教わって。母は無学だったけど、母との暮らしは遊びであり、学びでもあった。親の言うことはほんと、千にむだのひとつもないわ」
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<撮影/衛藤キヨコ 構成・文/水野恵美子>
桑田ミサオ(くわた・みさお)
1927年青森県・津軽生まれ。保育園の用務員を退職後、60歳から農協の無人販売所で販売する笹餅をつくり始める。山に分け入って笹の葉を採り、材料のこしあんから全て手づくりする笹餅は、またたくまにおいしいと評判となり、75歳で本格的に起業。79歳で津軽鉄道「ストーブ列車」に乗りながら、車内販売を始めると、「ミサオばあちゃんの笹餅」として注目を集める。2020年には、NHK「プロフェッショナル 仕事の流儀」に、「たった一人で年間5万個の笹餅を作り続ける職人」として取り上げられる。平成22年度農山漁村女性・シニア活動表彰 農林水産大臣賞受賞。令和3年春の勲章 旭日単光章受賞。95歳で笹餅づくりを引退する。
※記事中の情報は『天然生活』本誌掲載時のものです