• イギリスのオックスフォード大学で日本美術史を研究し、女性皇族として史上初となる博士号を取得された、三笠宮家の彬子(あきこ)女王殿下。祖父である三笠宮殿下とスクエア・ダンスとの関わりについて、平和への願いが込められた知られざるエピソードをお教えいただきました。
    (『日本文化、寄り道の旅~彬子女王殿下特別講義~』より)

    「自由」「平等」「平和」のシンボル―スクエア・ダンス

    三笠宮殿下は、戦後すぐの1949(昭和24)年、2月26日から札幌で開催された第20回宮様スキー大会にお成りになった際、進駐軍の民間情報教育局の教官であったウィンフィールド・ニブロ主催のパーティにおいて、スクエア・ダンスに初めてお触れになりました。

    それがきっかけともなり、1951(昭和26)年には日本レクリエーション協会の総裁に就任され、レクリエーションという言葉がほとんど知られていなかった日本で、その社会的な意義と重要性を広められたことはよく知られています。

    画像1: ダンスを踊られる三笠宮殿下(三笠宮家蔵)

    ダンスを踊られる三笠宮殿下(三笠宮家蔵)

    ただ、殿下が、ニブロからスクエア・ダンスを学ばれたことが、レクリエーション運動に傾倒されていく要因の一つであったことは間違いないのですが、これは直接的な理由ではありません。

    スクエア・ダンスパーティに、兄宮である高松宮殿下とともに出席され、踊られるのがお嫌だった高松宮殿下は、三笠宮殿下に「やれ」と仰ったそうです。

    三笠宮殿下は、なんだかよくおわかりにならないままスクエア・ダンスを初めて体験されることとなり、パートナーの女性の真似をされながら踊られていたので、ずっと女性のパートをやっていたことが後からわかり、赤面されたといいます。ただ、ここで三笠宮殿下がスクエア・ダンスに興味を持たれたわけではありませんでした。

    三笠宮殿下がスクエア・ダンスに初めてお触れになったのが昭和24(1949)年の2月ですが、この年の夏、殿下は佐渡にお出ましになっています。

    ちょうどお盆のころで、全島がおけさ一色、朝から晩までいたるところでおけさの歌や踊りがあふれている状況でした。

    そのとき殿下が感動されたのは、殿下に同行していた佐渡出身の厚生次官、県議会議長、宮内官たちが、おけさが始まると居ても立ってもいられなくなり、大衆の中に飛び込んで踊っていたことで、その様子を「村人に次官もまじり盆踊り」と俳句に詠んでおられます。

    画像2: ダンスを踊られる三笠宮殿下(三笠宮家蔵)

    ダンスを踊られる三笠宮殿下(三笠宮家蔵)

    地球上に踊りを持たない民族はありません。踊りは人類の原始の時代からあり、人類が存在する限り滅びることはないと考えられるものです。

    このとき殿下は、世界が一つにならなければいけない現代では、老いも若きも世界のすべての人たちが喜んで飛び出して踊れるものがなくてはならないとお考えになり、スクエア・ダンスを本気で勉強され始めたのだといいます。

    当然のことながら、戦時中アメリカは敵国であり、英語を使うことも禁じられていました。

    数年前まで敵であった国の文化であるスクエア・ダンスを、帝国軍人であり、なおかつ皇族である殿下が学ぶということは、最初は抵抗がおありになったのではないかと推察されます。

    しかし、佐渡のおけさをご覧になったことをきっかけに、世界中の人々が命を奪い合った戦争を間近でご経験されたからこそ、世界中の人々が手を取り、ともに楽しむことのできるものが、戦争で荒廃した世の中には何よりも必要だとお考えになったのではないでしょうか。

    画像3: ダンスを踊られる三笠宮殿下(三笠宮家蔵)

    ダンスを踊られる三笠宮殿下(三笠宮家蔵)

    戦前殿下は、地方御成りなどで多くの国民と接してこられましたが、そのほとんどが、大勢が整列し、お辞儀をしている人たちの前を通り過ぎるだけという、お互いの感情の疎通のない「人間対偶像」のお付き合いであったといいます。

    人間同士のあたたかいお付き合いを求めておられる中で出会われたのが、スクエア・ダンスだったわけです。

    互いに手を取り合いながら、明るく、楽しく、協同し、完結していくスクエア・ダンスの中に、殿下は日本社会の進むべき理想の幻を感じられ、それが殿下にとっては「自由」「平等」「平和」のシンボルのように感じられたと語られています。

    皇族でも、省庁の次官でも、女工さんでも、身分の別なく、手を取り合って踊ることのできるスクエア・ダンスは、殿下の理想の日本社会の縮図のようなものであったのでしょう。

    本記事は『日本文化、寄り道の旅~彬子女王殿下特別講義~』(扶桑社)からの抜粋です

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    彬子女王殿下(あきこじょおうでんか)
    1981年(昭和56年)、寬仁親王殿下の第一女子として誕生。学習院大学在学中に1年、卒業後に5年、計6年間にわたり英国オックスフォード大学マートン・コレッジに留学。在外の日本美術コレクションの調査・研究にあたり、2010年(平成22年)には、女性皇族として史上初となる博士号を取得。京都産業大学日本文化研究所特別教授、國學院大學特別招聘教授など兼任し、多くの大学で講義・講演を行う。2012年(平成24年)、子供たちに日本文化を伝えるために一般社団法人「心游舎」を創設し、全国各地で活動を続ける。著書に『赤と青のガウンオックスフォード留学記』(PHP文庫)、『新装版 京都 ものがたりの道』(毎日新聞出版)、『日本美のこころ』『日本美のこころ 最後の職人ものがたり』『日本美のこころ イノリノカタチ』(いずれも小学館)など多数。

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    『日本文化、寄り道の旅 ~彬子女王殿下特別講義~』(彬子女王・著/扶桑社・刊)

    画像: 「村人に次官もまじり盆踊り」彬子女王殿下に伺う、祖父・三笠宮殿下が“スクエア・ダンス”に込めた戦後復興への熱い想い

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    大英博物館の「宝物」発見から
    伊勢の神宮、お茶の話、皇室の洋装化・帽子をかぶる理由など、
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    女性皇族として史上初となる博士号を取得、大学で特別教授や特別招聘教授を兼任され、ベストセラーとなった『赤と青のガウン オックスフォード留学記』をはじめ、多くの著書を執筆されている彬子女王殿下。本書には、多くの大学などで講義されたものをまとめた7つの「特別講義」が収録されています。大英博物館の「日本」コレクション、海をわたった法隆寺金堂壁画、美術の裏側にあるもの、神道と日本文化など、リアルな経験談を交えた内容は、まるで目の前で講義を受けているかのような臨場感をもたらしてくれる一冊です。

    【目次】
    講義の前に 伝統とは「残すもの」ではなく、「残るもの」
    特別講義① 大英博物館の「日本」コレクション
    特別講義② 西洋から見た日本美術――海をわたった法隆寺金堂壁画
    特別講義③ 西洋から見た日本美術――美術の裏側にあるモノ
    講義の間に 広がる「わたし」の可能性
    特別講義④ 新文化論――神道と日本文化
    特別講義⑤ 新文化論――皇室の装束と文化
    特別講義⑥ 大英博物館のコレクションから知る日本のお茶の話
    特別講義⑦ 平和の礎、スポーツの聖地



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