(『天然生活』2025年5月号掲載)
手を動かす楽しみに、突き動かされて
桑田ミサオさんは、十本の指でつくれるものは料理に限らず、縫ったり、編んだり、なんでもやって覚えてきました。
「母親譲りだね、母も必要なものは何でもゼロからつくっていたから」
和裁の仕事をする母の姿を目にしながら、針を使うことを覚えました。初めてつくったのは人形の服。「上手だね、でも、こうすればもっとよぐなるよ」と教え上手の母の言葉に促され、小学6年のときには浴衣が縫えたといいます。

かぎ針を手にしたとたん、スルスルと手が自然に動きだす
結婚してからはふたりの子どもの服を縫い、着なくなった着物はほどいて洋服やバッグにつくり変え、自分の服はもらいもので済ませ、買ったことがありません。
実はふだん着ているセーターも自身で編んだもの。

ミサオさんが編んだニットの一部。本を見て編んだものはなく、自身のオリジナル。「でき上がりを想像しながら模様を考え、編んでいく作業が楽しい」
ふたりの子どもの学費を稼ごうと、編み機を使ってたくさんのものを編んでいた時期もありましたが、保育園の用務員として働くようになり、そこで目にした手編みのテーブルクロスがきっかけで、同僚からかぎ針の編み方を教わり、帽子や靴下といったものまで編むようになりました。

襟元の模様編みは細かく、繊細で美しい

白い花のコサージュも手編み
ほんの少しの時間でも、手を動かすとすごく楽しい
「ほんのちょっとの時間でも、こうやって手を動かすとすっごぐ楽しいのさ。気分も変わって」
ミサオさんの編み物好きを知り、使わなくなった毛糸を持ってきてくれる人もいて、それを利用しながら帽子を60個ほど編んで、福祉施設に寄贈したこともありました。

カラフルな毛糸玉は知人が持ってきてくれた
ギュッと頭が締めつけられることがないようにと編み方を工夫した帽子は「一日中かぶっていてもラクでいい」と喜ばれたといいます。

ゴム編みで編んだシンプルな帽子がお気に入り
ひとむかし前、昭和の世代であれば、もったいないからと着なくなった着物やセーターはほどいて新たなものにつくり替えたりすることはめずらしいことではなく、その腕や技をもつ人がごく身近にいました。

手さげの巾着は着物をほどいてつくった
しかし大量生産という時代の変化とともに、いつの間にか日常だった手仕事はハードルが高くなり、特別なこととなっていきました。
「上手い、下手は関係なく、楽しく」とミサオさんはいいます。
楽しい時間は人それぞれですが、手を動かすことで自分と向き合えたり、心が整理されたり、無にもなれたり、そんなかけがえのない時間をもつことで、少しだけ人生が豊かになっていたのかもしれません。

四角い針山もミサオさんのお手製
〈撮影/衛藤キヨコ 構成・文/水野恵美子〉
桑田ミサオ(くわた・みさお)
1927年青森県津軽生まれ。保育園の用務員を退職後、農協の無人直売所で販売する笹餅をつくり始め、おいしいと評判になり75歳で起業。79歳で津軽鉄道“ストーブ列車”に乗りながら車内販売をはじめると“ミサオおばあちゃんの笹餅”として注目を集め人気に。笹餅づくりは95歳で引退。“笹餅おばあちゃんの手でつくる暮らし”(扶桑社)が発売。
※ 記事中の情報は『天然生活』本誌掲載時のものです
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