• 昭和の「団地建築」の奥深い世界をご存じですか? 団地愛が止まらない『天然生活』編集部の川添と、団地には広く浅く興味があるミーハー派・関根が、その魅力を語り尽くす連載です。第3回は、赤羽台団地の隣にあった巨大団地「都営桐ヶ丘団地」を取り上げます。珍しいメゾネット住棟や、あとから増設された浴室、戦後の歴史まで、川添が撮り溜めていた約30枚の写真と約6000字の熱量で徹底解説。いまは失われつつある団地建築と、そこで営まれていた暮らしの魅力をひもときます。

    団地案内人
    川添大輔(かわぞえ・だいすけ)

    団地マニア歴26年の『天然生活』編集部員。
    中学時代に暮らした社宅の団地で、その魅力に目覚める。大学時代にはトランジットで滞在したシンガポールの“レトロフューチャー”な団地群に衝撃を受け、社会人になってからは夜な夜なカメラを持って自転車で都内の団地を巡るのが日課に。警察にマークされながらも光が丘団地に通い詰め、憧れが高じてURに入居。前職では、念願の団地本も出版。昭和30年代の歴史的団地が姿を消しつつあるいま、その姿を記録に残すことへの執念は深まるばかりだ。

    火薬庫住宅から新しい団地の生活へ

    画像: 「桐ヶ丘団地」の商店街。後ろの住棟は4階建てではなく5階建て。実は昭和37年度に計画がブラッシュアップされ、以降は5階建ての建物も建てられるようになりました。すべてを確認できていませんが、5階建ての住棟には増築されてないものも見られるので、もしかしたら、それ以降の住棟にはお風呂がついてたのかもしれないですね

    「桐ヶ丘団地」の商店街。後ろの住棟は4階建てではなく5階建て。実は昭和37年度に計画がブラッシュアップされ、以降は5階建ての建物も建てられるようになりました。すべてを確認できていませんが、5階建ての住棟には増築されてないものも見られるので、もしかしたら、それ以降の住棟にはお風呂がついてたのかもしれないですね

    川添 そして、昭和29年に団地にすると計画が決定され、昭和31年から工事が開始されました。完成した団地には、「火薬庫住宅」の住人が優先して入居できたそうです。

    関根 お見せできないのが残念ですが、建設当初の写真を見ると、とてもモダンで美しい建物に見えますね。高級感も感じます。

    川添 ですねー。団地が憧れの住まいだった時代ですから。

    関根 「火薬庫住宅」から移った方は、ものすごくうれしかったんじゃないですか?

    川添 『桐ヶ丘三十五年史』にも、うれしくて建設中に何度も見学に行ったということが書かれていました。で、「桐ヶ丘団地」の名称なのですが、実は先に桐ヶ丘小学校があって。

    関根 小学校が先なんですね。

    川添 はい。その小学校の名前の由来が、かつてこのあたりに桐畑が多かったからという逸話があったそうです。そこから名付けたと記憶していると、『桐ヶ丘三十五年史』に寄稿された当時の北区区長の文章に書かれていました。

    画像: 商店街の建物の写真です。1階が店舗、2階が住居になっているのではないかと思います。『桐ヶ丘三十五年史』には、桐ヶ丘商店街でも商店街史をつくる動きがあり、原稿も集まってきていて、出版が楽しみという記述がありましたが、完成したのでしょうか? もっとも、写真の商店街ができる前の商店街だったようですが

    商店街の建物の写真です。1階が店舗、2階が住居になっているのではないかと思います。『桐ヶ丘三十五年史』には、桐ヶ丘商店街でも商店街史をつくる動きがあり、原稿も集まってきていて、出版が楽しみという記述がありましたが、完成したのでしょうか? もっとも、写真の商店街ができる前の商店街だったようですが

    関根 へぇ~、なんだかすごい本ですね。「桐ヶ丘団地」ってとても大切にされた団地だったんですね。

    川添 私もびっくりしました。実は『桐ヶ丘三十五年史』の巻頭には、高松宮殿下のご寄稿がありまして驚きました。実は、戦後すぐに帰国者の入居が始まったころに、その事業をしていた「同胞援護会」(旧軍人援護会)の総裁をされていた高松宮殿下が激励のために視察に訪れたそうです。それが住人にとってとてもうれしい出来事だったらしく、本の製作に当たってお願いしたところご寄稿いただけたということが編集後記に書かれていました。

    関根 団地というレベルを超えた逸話ですね。

    川添 ですねー。皇室ゆかりの団地といえば「ひばりが丘団地」が有名ですが、ほかにもあったとは知りませんでした。

    関根 「ひばりが丘団地」?

    川添 そこもとてもいい団地で有名なエピソードがあるので、いつか紹介できればと思います! これも『桐ヶ丘三十五年史』に書かれていたのですが、実は高松宮殿下は戦後、自身の住まいの敷地の一部を都に寄付されて、都営団地の第一号「東京都営高輪アパート」(現存せず)が建てられたという逸話もあるそうです。



    <撮影/川添大輔 参考文献/『桐ヶ丘三十五年史』>



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