(『天然生活』2021年2月号掲載)
「ごみ」とは何か
――このコロナの時代、家ですごす時間が増え、ごみについて考えさせられたという人も少なくないだろうと思います。そもそも「ごみ」とは何なのでしょう。
藤原:ごみというのは、近代以降になって登場した新参者といえます。それ以前には「ぼろ」「くず」といわれ、基本的に再利用できるものでした。再利用できなくなったら、土に還せば分解してくれるものだったから、いまでいうごみは、ずっと少なかったといってもよいと思います。
では、ごみとは何なのか。だれかの所有権を外れ、だれの手にも渡らず、再利用もされずに燃やされたり埋められたりするもの。土や海に棲む無数の微生物が分解できずあふれ出たもののことです。
つまり、地球の生態システムのなかではイレギュラーな存在なんです。いまの環境問題や気候変動の問題を解決していくには、このごみを「出さない・燃やさない・埋めない」ことをモットーとすべきです。
――そのごみが大量に出てきたのは、近代以降のことだったと。
藤原:はい。大量に生産し、大量に消費してもらい、次々に新しい欲望を駆り立て、また消費してもらうことで、常に経済規模を拡大していくという近代以降のシステムが、「大量廃棄」を生み出したのです。
過去の欲望に対して生産された物品は、在庫として抱えるとお金を食いますから、捨てられるしかなくなります。この大量生産・欲望開発・大量消費・大量廃棄というサイクルは、生態系のサイクルとまったく合わないのです。
生態系には、「食べる」ことで成り立つ食物連鎖のサイクルがあります。これは「捨てられたものを食べつづける」システムです。
どういうことかというと、植物は枯れ、動物は死にますよね。そして、植物も動物も、育っている間にいろんなものを落とします。人間なら髪の毛や皮膚、排泄物。それが「食べもの」です。
髪の毛を落とせば、ダニたちが食べる。土壌に落ちれば、無数の微生物たちのごちそうになる。動植物の亡きがらも、この世界に生きる小さな生きものたちの食べものになります。
人間もその仲間で、我々が食べているものはすべて、動植物の亡きがらですよね。微生物やミミズと変わらない、分解行為なんです。
私たちは、その「食べる」サイクルに、食べられないプラスチックや紙、つまりごみを登場させたのです。それらをどんどんつくっていかなければならないこの経済システムと、生態系のシステムが合わなくなっているのが、いまの世界です。
私は、コロナ以降の時代の理想は、このふたつのシステムをもう一度、できるだけ合わせていくところにあると思います。
――乖離してきたふたつの世界を、近づけていけるということですか。
藤原:はい。さまざまな生きものとともに分解活動に参画しましょうということです。すると、いろいろ面白いことが起こりますから。
知っていますか? ごみの現実
首都東京のごみはどうなる?
上のマップは、東京湾における最終処分場(埋め立て地)の変遷を表しています。
昭和初期から始まった埋め立ては、場所を替えながら今日まで行われ、⑤と⑦の2エリアで継続中です。
ところが、東京湾には、この次の埋め立て地設置計画がありません。人口密集地東京が排出する大量のごみは、どう処理されていくのでしょう。
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〈構成・文/保田さえ子 イラスト/山元かえ〉
藤原辰史(ふじはら・たつし)
京都大学人文科学研究所准教授。コロナ危機のさなかに発表した論考「パンデミックを生きる指針」が反響を呼んだ。このインタビューの糸口となった2019年の著書『分解の哲学』でサントリー学芸賞受賞。
※ 記事中の情報は『天然生活』本誌掲載時のものです