(『天然生活』2016年4月号掲載)
吉本家の食卓は、にぎやかでざっくばらん
戦後思想界の巨人と呼ばれる思想家、父・吉本隆明さん。俳人であった母・和子さん。そして漫画家のハルノさん、小説家の妹・ばななさん。この4人家族が、いったい何を食してきたのか。その食卓は、どんな様相だったのか。期待いっぱいに質問をする私たちに、ハルノさんはのんびりいうのです。
「たいしたことなんて本当になかったんですよ。母はね、食べ物と食べ物が混ざった味が嫌いという人で、料理にも食べることにもまったく興味をもたなかったですし。そんな人だから、つくるのは、素材の味しかしないようなほうれんそうのおひたしとか、その程度。つくって食べることに重きを置く家ではなかったんですよ」
隆明さんを慕う学生や編集者がひっきりなしに訪れ、いつも客人が多かったという吉本家。店屋ものをとったり、近所でお総菜を買ってつついたり。家族団らんというよりは、気づけばわいわいと、おなじみの人も初対面の人も一緒に食卓を囲んでいる。そんな状況が多かったと思い出します。
「とくに、当時、暮らしていた下町は、そんな文化だったのかもしれません。近くにおいしいそば屋さんもあったし、あつあつの揚げものやお総菜を好きなときに買えるお店もあったし。家に鍵なんてかけないから、気づけば、いろいろな人が出入りしている。それは、いまも同じ感覚なんですけれど」
強烈すぎる“父の味”の記憶
“母の味”の記憶はあまりないけれど、“父の味”の強烈すぎる記憶は多々残っている、とハルノさん。一時期、吉本家で台所を預かっていたのは、父・隆明さんでした。そこで日々、生み出されていたのは、謎めいたレシピの数々。
「思い出すのは、バターのり巻き。のりにごはんをのせて、そこにまた、バターをのせて巻くというもので……。あとは、小麦粉の揚げもの。父は揚げものが好きで、とくに衣が好きだったんですよ。『ならば、衣だけを食べよう』と考えたんでしょうね。きざんだねぎを小麦粉に混ぜて、水で溶いて、ただそれを揚げる、という。ぐじゅぐじゅしていて、実際に食べたときはぎょっとしましたよ。本人は、なんでもない顔をして口に放り込んでいましたけれど。普通の人には、まず出てこない発想ですよねえ、衣だけの揚げものなんて」
30歳を過ぎたころから糖尿病を患っていた隆明さんには、本来なら御法度な得意メニューの数々。けれど、日々の食事づくりを家族は止めることをしませんでした。
「ある時期からは、父と私で食事づくりを担当していましたが、父は夕飯を担当したいと申し出て。夕方、買い物を兼ねて外を歩くことが思索の時間でもあったことを、私たちも知っていましたから……」
「猫屋台」の始まり
2012年春に隆明さんは亡くなりましたが、それから間もなく、ファンと称する男性が、自宅に突然、現れました。
「書斎を、見せてくれませんか?」。ハルノさんは、かつての吉本家がそうだったように、気軽に招き入れて書斎に案内しました。お茶を出し、少し話をしました。その後も続々と、隆明さんを慕ってやってくる人が後を絶ちませんでした。
これが、「猫屋台」の始まりです。来る人は拒まず。お茶でも飲んで、なんならお酒でも味わいながら、おいしいものをつまんでくつろいでもらう。大きな看板は出さないし、おおっぴらな宣伝もしないけれど。でも、ここはけっして気難しい店ではないのです。
この家に出入りする、たくさんの猫たち。彼らは、だれに聞かずとも吸い寄せられるようにやってきて、ハルノさんに寄り添っています。
吉本隆明さんの著書などを読めば、その場所のヒントは、たくさん散らばっています。界隈から自然に集まる猫たちのように、探り当てれば温かに、だれにでも開かれている場所。それが猫屋台なのです。
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<料理/ハルノ宵子 撮影/川村 隆 取材・文/福山雅美>
ハルノ宵子(はるの・よいこ)
1957年、東京生まれ。吉本隆明の長女として生まれる。漫画家(現在は開店休業中)。2015年から、自宅を改装し、「猫屋台」の店主となり厨房で腕を振るう。無類の猫好き。「猫は、その距離感が心地いいんですよ」。隆明氏との共著に『開店休業』(幻冬舎文庫)。「猫屋台」は予約制。