• 親子三代で料理家の堀江家では、いつの時代も洋食が食卓を彩りました。孫娘のほりえさわこさんが、祖母のレシピを母から受け継ぎ、いまも家族につくる昭和の味には、幾つもの小さな工夫があります。
    (『天然生活』2016年6月号掲載)
    画像: 昔のレシピは、すべて手書き。「自宅には、何千というレシピカードが残っています」と、さわこさん

    昔のレシピは、すべて手書き。「自宅には、何千というレシピカードが残っています」と、さわこさん

    懐かしい洋食は、いまも変わらぬわが家の味

    祖母の堀江泰子さん、母のひろ子さん、そして娘のさわこさん。堀江家は、三代続く料理研究家の家系です。ちなみに、泰子さんが師事したのは、料理研究家の草分けであった河野貞子さん。

    「河野先生は、洋食を家庭料理に取り入れた元祖のような方でしたから、祖母の泰子も、もちろん得意は洋食。普通、おばあちゃんの味というと煮ものなどの和食がイメージかと思いますが、わが家の祖母の味は、洋食が豊富でした」

    画像: 泰子さん初の料理本と、同じく泰子さんのアイデアがたっぷりと詰まった、かんづめ料理集 右は昭和41年発刊の『そうざい料理』(鶴書房)、左は昭和46年発刊の『冷凍かんづめ料理全科』(家の光協会)

    泰子さん初の料理本と、同じく泰子さんのアイデアがたっぷりと詰まった、かんづめ料理集
    右は昭和41年発刊の『そうざい料理』(鶴書房)、左は昭和46年発刊の『冷凍かんづめ料理全科』(家の光協会)

    幼かったころの夕食は、思えば、いつもにぎやかでした。近くに住む親戚を含め、食卓には、少なくとも10人。ちなみに、当時のさわこさんの憧れは “個別盛り”。

    「わが家では、洋食といっても、小さなお皿に一人前ずつきれいに盛られているなんてことはないんですよ。とにかく、人数が多いですからね。大皿にどーんと盛って、取り分けるスタイル。突然、人が増えることもありましたから、大皿盛りは便利だったんですね」

    画像: 大家族の堀江家の食卓。やはり、並んでいるのは洋食。「いつも、このくらいの人数は普通でした」

    大家族の堀江家の食卓。やはり、並んでいるのは洋食。「いつも、このくらいの人数は普通でした」

    よく出されていたのが、具だくさんのシチュー。ミートボールを入れたり、ソーセージを入れたり、ときにはカレー粉をふったり、さまざまにアレンジされた堀江家の定番メニューは、大鍋いっぱいにつくっても、最後にはすっかり空っぽになる人気の一品でした。

    「ミートボールシチューは、いまも現役。101歳を迎える祖父から2歳のめいっこまで、みんなが大好きなメニューです。懐かしいけれど、けっして古くさくはないんですね。祖母がいつも心をくだいていたのは、“だれでも手に入りやすい素材で、だれがつくってもおいしい” こと。実験の鬼ともいえる人なので、食材を量り、火を入れる分数を見極め……。だから、その手順は簡単でありながら、計算されつくされている。いまも変わりなく、おいしいんです」

    泰子さんの口ぐせは、「おいしいものは、残るのよ」。

    日本の家庭料理をより豊かにするために、研究を重ねて練り上げられた洋食レシピの数々。その多くは、半世紀以上の時を超えたいまも、さわこさんの食卓で、さらには日本各地の食卓で、やわらかな湯気を上げつづけています。



    <撮影/川村 隆 スタイリング/池水陽子 取材・文/福山雅美>

    画像: 懐かしい洋食は、いまも変わらぬわが家の味

    ほりえさわこ
    料理研究家、栄養士。祖母、母ともに料理研究家の家庭に育つ。イタリア、韓国での料理修業を経て、料理家の道へ。著書に、母・ひろ子さんとの共著『最新版 簡単おせちとごちそうレシピ』(主婦の友社)などがある。

    ※ 記事中の情報は『天然生活』本誌掲載時のものです


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