• 2023年6月、ALS(筋萎縮性側索硬化症)と診断されたまさこさん。少しずつ体が動かなくなっていく進行性の病気とともに生きながら、家族との一日一日を大切に過ごしています。このエッセイでは、まさこさんの日々の暮らしや思い、そして、喫茶店の店主として、母として、数々の料理をつくり続けてきたまさこさんの“未来に届けたいレシピ”などをつづっていきます。今回は、「ALSと診断されてからのお話」です。

    「はじめまして」のごあいさつ

    画像: 「はじめまして」のごあいさつ

    みなさん、こんにちは。

    福岡で家族と小さな喫茶店を営んでいる、まさこと申します。

    思春期真っ只中の息子とちょっぴり年の離れた元気いっぱいの娘をもつ、ふたりの子どもの母でもあります。

    そんなわたしですが、2年前の6月、「ALS(筋萎縮性側索硬化症)」だと診断されました。

    少しずつ体が動かなくなっていく、進行性の病気です。

    いまはこの病とともに生きながら、家族との一日一日を大切に過ごしています。

    このエッセイでは、ときに笑い、ときに泣き、立ち止まりながらも、日々感じたことを少しずつ言葉にしていきたいと思っています。

    前向きな気持ちも、後ろ向きな気持ちも、どちらも大切なわたしの一部として。

    どこかで誰かの心に、そっと寄り添うような希望になれたら ――

    そんな願いをこめて。

    ドン底にいた、あのときのわたしへ

    いまだからこそいえるのですが、診断の少し前から「もしかして」と思っていました。

    調べるほどに思い当たる症状ばかりで、怖くて怖くて、夜も眠れない日が続きました。

    心に深い影が差したようで、気がつけば笑うことも忘れていました。

    でも、目の前には当たり前の日常があります。

    かわいい反抗期が始まった息子と、まだよちよち歩きの娘。

    ごはんをつくり、洗濯をして、お世話をして……。

    「落ち込んでいられない」と自分を奮い立たせていても、心の内ではもがき苦しんでいました。

    画像: ドン底にいた、あのときのわたしへ

    そんなある日、泣くことにも落ち込むことにも疲れてしまい、ふと「このままじゃもったいないな」と思ったんです。

    そこから、少しずつですが、「いまできること」に目を向けるようになりました。

    不安や怖さが消えたわけではないけれど、それを全部抱えたままでも、きっと生きていける。

    そんなふうに考えるようになったんです。


    〈撮影/いわいあや 協力/田中 文(キッチンパラダイス)〉

    まさこ
    1981年、喫茶モーニングの街・愛知県豊橋市に生まれる。カフェオーナーだった賢介さんと結婚し、家族で日本と海外を行き来する生活を送った後、2018年に福岡でカフェ「サウンズフード サウンズグッド」をオープン。2021年、長女・琳さんを出産後、足から違和感を感じるようになり、2023年にALSの診断を受ける。失意の底に突き落とされるが、自然治癒の症例もあると知り、その可能性に希望を見いだして生きることを決意。現在は「#何処かで誰かの希望となりますように」を合言葉に、これまで考案してきたレシピを記録に残す活動を開始している。
    インスタグラム:@sfsg_masako



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