• 無条件に愛せるようで、ときに他人以上にやっかいで。それでも大切にしたいと思う、その存在が家族です。料理家・麻生要一郎さんに、料理をするきっかけにもなり、故郷で看取ったお母さまの話を聞きました。麻生さんの家族の年表、印象的な家族の“言葉集”も紹介します。
    (『天然生活』2024年9月号掲載)

    麻生さんの家族の年表

    1977年茨城県・水戸市に生まれる。(髙野姓)
    1986年小三のときに祖母の真似をして焼き飯をつくる
    1996年建設会社の社長だった父が46歳で突然亡くなる。母が副社長として、会社に入る。麻生さんは後継となるべく、専門学校へ。

    文系科目が得意で、経営や政治経済を学びたいと考えていた。「父の死で、突然、建築関係の専門学校へ入ることになり戸惑う日々」

    1998年専門学校を卒業。修業のために大手建設会社に就職
    2000年「現場経験がないから、経理職に」と祖父にいいわたされ、今度は経理の専門学校へ通うことになる。母に乳がんが見つかる

    経理の専門学校を卒業する春、母が病に。「病院の食事に手をつけないので、1日3食を毎日届けました。手術は、無事に成功」

    2001年家業の建設会社に入社

    苦労しつつも、周りの信頼を得て仕事を続ける。「このころに祖父が亡くなり、叔父が会社を継いだことで家業を離れることに」

    2007年水戸でカフェを開業
    2009年新島で「カフェ+宿saro」を営む。愛猫チョビと出会う
    2014年「saro」クローズ。母に再び乳がんが見つかる。余命3カ月と宣告される
    2015年母が亡くなる。呆然とするなか、ある「お告げ」に導かれ東京へ引っ越し。新居の大家の老姉妹と出会い、出会ってほどなくして養子に。麻生姓になる。パートナーと出会う
    2022年自宅介護をしたあと、妹が亡くなる。姉も骨折して歩行困難となり、介護施設へ入所
    2023年住んでいたマンションの1階にアトリエを構える

    「図面を引くことから始め、広い作業台のある理想の場所ができました。以前にも増して、友人たちがごはんを食べに集まるように」

    2024年姉妹が住んでいたマンションの5階の改装スタート。「皆の家」をつくる。
    画像: 麻生さんの家族の年表


    〈撮影/杉能信介 取材・文/福山雅美 構成/鈴木麻子〉

    麻生要一郎(あそう・よういちろう)
    1977年、茨城・水戸市にて、手広く事業を行なう一族のひとり息子として誕生。その後、とある姉妹の養子となる。雑誌へのレシピ提供、食や暮らしに関する執筆を行い、著書に『僕の献立』『僕のいたわり飯』『365 僕のたべもの日記』(すべて光文社)など。
    インスタグラム:@yoichiro_aso

    ※ 記事中の情報は『天然生活』本誌掲載時のものです



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