• 無条件に愛せるようで、ときに他人以上にやっかいで。それでも大切にしたいと思う、その存在が家族です。料理家・麻生要一郎さんに、出会ってすぐに養子に入った老姉妹との日々と、“家族”と呼べる仲間たちについて聞きました。
    (『天然生活』2024年9月号掲載)

    食卓を囲むことでだんだん家族になっていく

    姉妹の父が好きだった、人形町の肉屋さん、昔からひいきのケーキ、「カットしたものを買うなんてみっともない」と、ホールで買い込んでいたとびきり大きなブリーチーズ。姉妹と麻生さんを繋ぐのもまた、"食べること"でした。

    画像: 気取りなく、それでいて心を尽くしたメニュー。「笹谷さんは食事になぜか牛乳を合わせます」

    気取りなく、それでいて心を尽くしたメニュー。「笹谷さんは食事になぜか牛乳を合わせます」

    「実は、戸籍上の家族になったことで、僕は距離のとり方に迷ってしまって。そこである人に相談したら、『毎日、決まった時間に必ず訪ねればいい』といわれまして」

    それからは午前中に必ず、マンション5階にある部屋を訪ねるように。ともに昼食をとり、お茶を飲む日々は、妹が亡くなり、姉が施設に入るまで8年ほど続きます。

    「お互い、機嫌が良くても悪くても一緒に食卓を囲むことで、関係がすごく安定して、不思議と家族感みたいなのが出てくるんですよ。たとえば『トップス』のケーキひとつとっても、ずっと東京で華やかに遊んできた姉妹だから、さまざまな思い出があって、人生は武勇伝だらけ。

    だれかに話しておきたかったことが、彼女たちにはたくさんあったんだと思う。僕が養子に入る前後は、さびしい時期だったのかもしれません。若いころを一緒に過ごした人たちは、結婚して、孫もできて。よく『うちは落ちぶれた家だからね』ともこぼしていましたし……」

    画像: この日の晩ごはんは、林下さんの帰宅を待ってちょっと遅めの20時30分から。麻生さんを中心に準備が進む

    この日の晩ごはんは、林下さんの帰宅を待ってちょっと遅めの20時30分から。麻生さんを中心に準備が進む



    〈撮影/杉能信介 取材・文/福山雅美 構成/鈴木麻子〉

    麻生要一郎(あそう・よういちろう)
    1977年、茨城・水戸市にて、手広く事業を行なう一族のひとり息子として誕生。その後、とある姉妹の養子となる。雑誌へのレシピ提供、食や暮らしに関する執筆を行い、著書に『僕の献立』『僕のいたわり飯』『365 僕のたべもの日記』(すべて光文社)など。
    インスタグラム:@yoichiro_aso

    ※ 記事中の情報は『天然生活』本誌掲載時のものです



    This article is a sponsored article by
    ''.