• 無条件に愛せるようで、ときに他人以上にやっかいで。それでも大切にしたいと思う、その存在が家族です。料理家・麻生要一郎さんに、出会ってすぐに養子に入った老姉妹との日々と、“家族”と呼べる仲間たちについて聞きました。
    (『天然生活』2024年9月号掲載)

    縁はつながり、家族は拡大していく

    さらに、麻生さんの友人が姉妹に及ぼした影響も大きかったよう。

    「テレビを観ていた姉が急に、CMの坂本龍一さんを指さして、『この坊や、うちに来たことある』って。姉妹の父は文芸評論家で、名物編集者だった坂本龍一さんのお父さまと親しくしていたんですね。『娘の美雨ちゃんと仲良しだよ』と伝えると、喜んでね。『それなら、あの子にこれをわたして』といろいろなものをあげていたな。『ヘイデンブックス』の林下さんのことは、“本屋さん”と呼んで、古い本をわたしていたし」

    出会ったころは「つまらないわ」なんてこぼすこともあった姉妹は、日を重ねるにつれ、その言葉をどこか忘れたようでした。

    画像: 「僕が、家族だと感じる人々の共通点? うーん、だれかを出し抜くより、出し抜かれるタイプって感じですかねぇ」

    「僕が、家族だと感じる人々の共通点? うーん、だれかを出し抜くより、出し抜かれるタイプって感じですかねぇ」

    姉妹が暮らした部屋で暮らすことを決心した日

    姉妹がこのマンションでの暮らしを終えたいま、麻生さんはアトリエに改装した1階で、“家族”と呼ぶ近所の仲間たちと食卓を囲みます。

    中心メンバーは、“本屋さん”と呼ばれた林下さん、このマンションの一室で設計デザイン事務所を営む笹谷さん、隣のビルから、「工事で大きな音が出ていて、えらいすんません」とあいさつに訪れたことがきっかけで仲良くなった森さん。

    画像: 「“家族”と感じるか否かは、つきあった年月や会う頻度でもないんです。まったくの直感で、僕もよくわからない」

    「“家族”と感じるか否かは、つきあった年月や会う頻度でもないんです。まったくの直感で、僕もよくわからない」

    麻生さんにとって“家族”は、シンプルなもの。「何かあったときに、僕が守ってあげたいと思う人。それが家族」なのです。

    「姉はよく、『私がいなくなったら、あなたは5階に住んだらいい』といっていました。しばらくそんなことは考えられなかったけれど、笹谷くんが設計の仕事をしていることもあり、ふと相談したんです。改めて5階に上がると……なんていうか、毎日行っていた場所だしね、片づけようにも情みたいなものがあって、『このダイニングを取り払ってしまうと、何かが消えてなくなる気がする』と躊躇してしまった。

    画像: ときには遅くまでおしゃべりすることもあるけれど、通常は、ごはんを食べたらさっと解散。毎日会うからこそのあっさり感

    ときには遅くまでおしゃべりすることもあるけれど、通常は、ごはんを食べたらさっと解散。毎日会うからこそのあっさり感

    でも、かつて姉妹は『ここに住みなさいよ』とケロッとした顔でいっていた。ある意味でそれは、僕らの最終着地点みたいな“親孝行”かもしれないと」……と、きれいにまとまりかけたものの、目の前にはその美しい着地を掻き乱すかの如く、80年以上もこの東京で、贅沢に楽しく生きた姉妹のおびただしい荷物。

    「ある日、笹谷くんが部屋の一部をきれいにばらして、視界を開いてくれたんです。そこで初めて、『あ、住めるかも』と思えて。5階から見える夕焼けとか、首都高がキュウッとカーブしてテールランプがいっぱい並ぶ感じとか、そういう景色が、姉妹は好きだった。それを思い出せたとき、僕はここに住もう、と決められたんです」



    〈撮影/杉能信介 取材・文/福山雅美 構成/鈴木麻子〉

    麻生要一郎(あそう・よういちろう)
    1977年、茨城・水戸市にて、手広く事業を行なう一族のひとり息子として誕生。その後、とある姉妹の養子となる。雑誌へのレシピ提供、食や暮らしに関する執筆を行い、著書に『僕の献立』『僕のいたわり飯』『365 僕のたべもの日記』(すべて光文社)など。
    インスタグラム:@yoichiro_aso

    ※ 記事中の情報は『天然生活』本誌掲載時のものです



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